なんだかんだで今年ももう40回まできましたね。
残すところあと10回。
昨年の今頃は、
「あー、もうあと10回になっちゃった…みんなとお別れするのが寂しいなあ~。(´д`lll)
キャスト・脚本・スタッフさん続投で、来年一年かけて『源氏鎌倉三代』とかやってくれないかな~」
という寂寥の思いしきりだったんですが。
今年の『八重』はぶっちゃけ、寂しいというより
「ねえ、あと10回もなにやるの?そんなにネタある?」
というのが正直な感想です
今回も脚本が吉澤智子さんになっていましたが、吉澤さんだからダメだとかそういう次元の話ではなくて。
個人的には、今回も、そして前回の「私たちの子ども」の回も、やらなければやらないで全然支障のないような回だったという感想です。
少なくとも、
「ねえ、どのエピを削ってどのエピをやるの!?っていうかどれも見たいんだけどーーー!!」
というジレンマに悩まされる毎年恒例の『10月の大河ドラマ』では全然ないです。
戊辰戦争から鶴ヶ城開城。
維新後の会津(斗南藩)の人々が置かれた窮状。
武士の世の終焉をすべて引き受ける形で退場した西郷さん。
新しい明治の世で、過去の恩讐を乗り越えて自分のやるべき道、新しい伴侶をみつけた八重さん。
というあたりで、
「もう見るべきほどのことは見つ」
という感じ。
欲を言えば、容保さまの御宸筆の竹筒エピと勢津子姫の秩父宮殿下とのご婚儀のエピはやって欲しいかな、と思うけど。
正直、
「もう来週で最終回です。俺たちの本当の戦いはこれからだ!!」
っつって終られても別にまったく構わないというか…。
辛口コメントになってしまっていますが、よくメディアであげつらわれているように、
・マイナーな女性をヒロインに据えた時点で間違ってた。
・中盤に最大の盛り上がりポイントを持ってきてしまったのがダメだった。
と、いうような事を言いたいわけではないんです。
確かにそれは二点ともある意味では真実だと思います。
けれど『新島八重』を主人公にとりあげた時点で、大河班の皆さんにはそれでもあえて彼女を主人公に据えた物語をやる「意味」
八重さんの生涯を通して視聴者に訴えかけたいテーマがあったはずです。
昨年の清盛のテーマが「継承」であったのに対し、今年の八重は「再生」だったのではないのかな…と勝手に思っていたのですが…。
最近、それにも自信がなくなってきた
というか、脚本家さんたちが今やってるドラマを通じて何を描きたいのかがよく分からなくなってきました。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ええと、なんだかゴチャゴチャ書きましたが…。
最近メガヒットした朝ドラ「あまちゃん」の例をひくまでもなく、魅力的なドラマ、面白いと感じるドラマっていうのは主人公をはじめとして登場人物みんなが「生きている」というか。
主人公に敵対したり、意地悪をしたりする人も勿論いるけれど、基本的に皆、「愛すべき人間」で。
ドラマを見ているうちに、視聴者の側もその世界に引き込まれていくというか…。
登場人物ひとりひとりに、それぞれ背負っている「過去」があり生きてきた「人生」があり。
回を重ねるごとに、みんなに愛着が出てきて最終回が来てしまうのが寂しくなってしまうというか…。
そういう気持ちが昨今、よく言われている、いわゆる「あまちゃんロス」という状態なんじゃないでしょうか。
私から見て、今の『八重』にはちょっとそれが足りない気がします。
主人公の八重、その伴侶の襄、覚馬兄つぁまをはじめとして、登場人物の誰にもあんまり感情移入出来ない。
槇村さんとか外国人教師だとか周辺の人たちが、本当にタダの嫌な人になってしまってる。
彼らには彼らの考え、主張があるはずですよね。
そのあたりをちらっとでもいいから見せて欲しい。
予告を含め、唯一ちょっと思いいれることが出来たのはみねちゃんくらいかな?
卒業して遠い地に去ろうとしている想い人に、恥ずかしそうに手編みの靴下を手渡して去っていく場面が可愛いらしかったです
襄も八重もそれぞれに人間味もあって、決して嫌な魅力のない人間ではないのですが。
けれど、それは二人を演じている綾瀬はるかさん、オダギリジョーさんのルックスとか声とか、台詞の言い方とか、役者さん個人の魅力に拠っている部分が大きくて、この『八重の桜』のなかの八重だとか襄だとかが魅力的な人間だ、というわけではない気がします。
襄さんに関しては、以前なうでもぼそっと呟きましたが、今のところ「人の好いイケメン」という印象の枠を出ていない気が…
今回の自戒の杖のエピソードも言いたいことは分かるんですけど、あれで学生たちや外国人教師たちの不満をなんで解消出来たのかがいまいち分からないというか…。
いや。
「襄の本気を見て欲しい」
という意気込みは伝わってきたし、それに打たれた(というかどん引いた)生徒たちが
「先生、もういいです!やめて下さいっ!!」
と自分たちの主張を引っ込めた、という話の筋は分からないではないんですが。
襄が今までどれだけ生徒たちのために尽くし、彼らの敬慕と尊崇を集めていたかという描写がいまいちなかった為、説得力に欠ける印象でした。
そして、問題はヒロイン八重さん。
第二部スタート以降、別人疑惑が絶えず囁かれている彼女ですが。
今回それが決定的になってしまいました。
嘘をついてはなりませぬ。
ならぬものはならぬものです!!!!
はい。
物語の前半の主題でもあった会津魂。
その根底をなすといっても過言ではない『什の掟』
それをいともたやすく破っちゃってましたね。
もうこの場面、唐突に容保さまが登場して八重さんの後頭部をハリセンでスパーン!ってやって欲しかった。
「ならぬものはならぬ!!」
って。
しかも、誰かを救うために悩みに悩んだすえ、やむにやまれず…とかいうなら分かるけど、旦那を小馬鹿にされてムカついたから思わずハッタリかましてやったって…掟破るまでのハードル低杉!
権八パパが草葉の陰で泣いてますよー(´□`。)
しかも、その嘘(妻のはったり、って言ってるけどあれは歴然とした嘘でしょう)が原因で、まわりまわって襄さんはもっと追い詰められることになってるし…
はっきり言って後半の八重さんにはヒロインとしての魅力がほとんどありません。
前半八重さんは、『鉄砲を撃つ』という規格外な個性を持ちつつも、家長であるお父つぁまの言いつけには従い、兄つぁまを敬い、お母っさまやうら義姉さんをちゃんとたてて、家事もこなし、お裁縫や手習いなどの女性の教養も一通りおさめ、空いた時間を懸命にやりくりして砲術のお勉強の時間に当てているような、節度だったところがありました。
夫の尚之助さまにも、なんだかんだ言って頼って甘えているようなところが仄見えて、普段は強気な八重さんが見せるそんなところがとても可愛らしかったのに…。
今の八重さんは、そりゃあ英語を学び、西洋知識を学び、女性たちの地位向上のための女学校の運営を手がけるなど、聞くだけなら
「それはすごい!」
と思うようなご活躍をなさっているんでしょうけど…。
問題は本編内でほとんど、それが見られないこと。
先週の女学生と、アメリカ人教師の布団干しをめぐる騒動の解決方法にしたって、本人は自分のお得意の薙刀を持ち出してドヤ顔してましたが、あれ少なくとも女性教師の側は全然なんにも納得してないと思うよ
うん。書いてて思い当たったんですけど、後半八重さんは
「基本ドヤ顔」
それが共感出来ない最大の原因なんだと思います。
前半八重さんは、自分が「普通のおとなしい女子」でないことに、多少なりとも「後ろめたさ」を感じているような描写がありました。
自分は決してそうはなれないし、なりたいと思ってるわけじゃないけど、幼馴染みの時尾さんの慎ましやかな可憐さに憧れているような雰囲気もあって。
でも、後半八重さんは「鵺」と呼ばれ、「悪妻」と言われることも
「そうよー。だって私は普通の女子とはちょっと違うんだもーん」
って自慢に思っちゃってるような印象を受けてしまって。
私だけかもしれませんが(汗)
襄さんのご両親との対面場面といい。
あれじゃ、気が強く礼儀知らずで、家事を夫に押し付けているわりには、夫の仕事の足を引っ張ることしかしない、という「悪妻」でしかないですよ。
襄が
「彼女は素晴らしい妻です」
「彼女は私に勇気をくれる」
と持ち上げれば持ち上げるほど、それに応ずるような素敵エピソードが何もないが為に、昨今の大河の悪しき伝統である(清盛は逆にサゲ過ぎてましたが…)
「何の根拠もない主人公アゲ」
に見えてしまって萎えてしまうのですが。(´д`lll)
登場人物の人となりをエピソードに拠らず、説明台詞で語らせるとか…りぼん漫画スクールやったら即減点やぞ。
放送枠が足りないからそこまで書けないとは言わせない。
前半の容保さまと照姫さまの関係とか。
お互いに好きだとか、姉上はほんとに素晴らしい女性だとか、殿マジかっけえなだとかひと言も仰ってはいませんが、それでも殿が照姫さまを、照姫さまが殿を心の底から大切な存在だと思い合っていることが僅かな場面からでもちゃんと伝ってきてましたもん。
それが主役夫婦で出来ないはずがない。
うわあ…なんだか文句だけになってしまいましたね、すみません。
愛のない感想文は信条に反するところなのですが。
今回は第一部からここまで見てきた『八重の桜』への愛着ゆえにちょっと辛口感想とさせていただきました。
来週は、みねちゃんのロマンスのお話みたいですね。
とりあえず泣いても笑ってもあと10回。
最終回まで八重の桜、見続けていきたいと重います。