【1】

――『神速ローラ』

その名は三大陸に知らぬものなし。華麗な剣技でどんな仕事もたちどころに片付ける、流浪の女剣士である。

 出自は不明。容姿も話す者によって様々で、特定は不可能。金髪を翻す妙齢の美女とも、女とも思えないほどに大柄な女戦士だとも言われているが、やはり確証は無い。

 このように情報が集まらない背景は、『ローラ』本人が人前で名乗ることをせず、仕事で組んだ仲間にさえ本名を明かさない点と、勇者ギルドの守秘義務による。勇者ギルドは三大陸国家すべてに対して中立の姿勢を取っており、仕事内容や勇者の情報にも独自の体制を貫いている。王命と言えども、やすやすと情報を渡すことは無く、無理に暴こうとすれば、国政にも影響を与えかねないものである。

「『姫様におかれましては、その旨よくよく御理解を頂きたく申し上げる』……。なんて、よくも言えたものね!」

後半に力を込めて、机を叩いて立ち上がる。ギリギリと歯軋りが聞こえてきそうな怨嗟の声に、給仕をしていたメイドが飛び上がった。同時に手から落ちそうになる皿を寸前で捕まえ直し、腰を浮かせたままの主に非難めいた目をやった。

「姫様…」

 どこからとも無く、呆れたような嘆息が漏れ聞こえる。見れば、背後に控えているメイド達が複雑な表情でこちらを見やっていた。同時に正面からも嘆息が聞こえる。

「リュティーベル。はしたないですよ、お座りなさい」

「でも、お母様!」

「お座りなさい」

 静かだか反論を許さない響きに、リュティーベルと呼ばれた少女は腰を下ろす。その際に流しっぱなしのブロンドがスープに入りそうになり、メイド達はまたしても嘆息した。

「本当に貴女は……。せめて髪くらい結いなさいと言っているでしょうに」

 メイド一同の思いを代弁した母も、お手上げ状態だ。軽く天を仰いで言う母を見て、リュティーベルは口を尖らせた。

「嫌よ、あんな堅苦しいの。それに市井の子は皆、サラサラ流しているじゃない。私だけ不公平よ」

 彼女のブロンドは決してストレートではないものの、綺麗な曲線を描く巻き毛である。それを指で弄りながら、リュティーベルは右斜め――一番奥に座る父親に向き直った。

「ねぇ、お父様もそう思うでしょ?」

「ああ、そうとも。リュッテの髪は金糸が流れるように美しい。ギチギチに結っておくより、そちらの方が素敵だよ」

「ほら!」

「あなた、馬鹿なことを言わないで下さいな!」

 朗らかに笑う父に母の叱責が飛ぶ。リュティーベルと違い、しっかり結い上げたはずのブロンドを振り乱さん勢いである。ヒステリックな声にメイドが慌てて耳をふさいだ。

「大体、貴女がそんな風だからいつまで経ってもリュッテが嫁げないんですわ! 女の身でありながら、礼儀作法も満足に身につけられずに、十八にもなって婚約者の一人も居ないなんて……、一体どうなってますの!」

「お……落ち着け、イファルシア。リュッテにはまだ早いよ。大丈夫だ、いざとなったら私が責任を持って……!」

「責任を持って、何だって言いますのッ。あの子に持ちかけられた縁談をことごとく蹴っておきながら!」

 ガチャン、と机を鳴らして立ち上がった母のせいで、ついに皿が床へと落ちる。幸い、皿が割れることは無かったが、メイドと父王は揃って嘆息した。

――イファルシア、リュッテは本当に母親似だな……

その呟きは胸中だけのものにして、喚き散らす妻をなだめるバリムス王は、なるほど賢君と誉れ高いことだろう。

リュティーベルは毎朝の恒例行事を横目で見ながら、自分が皿を落としそうになった原因を見つめやった。それは彼女の国、シーヴェンス王国が誇る王立諜報部からの親書である。

そこには、伝説の女剣士のモンタージュが朗らかに微笑んでいた。

「リュティーベルの縁談、今すぐ決めて頂きます!」

夫婦喧嘩のラストは、奇しくも『ローラ』の似顔絵越しに聞こえてきた。母の声なのに、何故か『ローラ』に宣告されたようで、リュティーベルの柳眉が寄る。

イファルシアは荒い息を抑えて、父王へ書状を叩きつけた。薔薇の紋も鮮やかな国王親書である。はて、あの紋はどこの王家の紋だったか。小国ならば父王に泣きつけば何とかなるかもしれないが……

「セリアノ王国と縁談を進めましょう!」

 ――ああ、今度こそおしまいだ。

『大国』セリアノの名を聞いた瞬間、リュティーベルはギリリと下唇をかみ締めた。

***

シーヴェンス王国は小さいながらも肥沃な土壌と豊富な水資源に恵まれた豊国である。中でも酒類の質は他国でも群を抜き、商人の間では『シーヴェンス』を『酒』の隠語として使い、他国からは「シーヴェンスの民は水代わりにワインを開けている」、と皮肉されているくらいである。
 当然、その国の酒場には他国以上に人が集まり、他国以上に多くの情報が飛び交っていた。その分、選り分けるのが骨ではあるが、酒好きなら何時間でも居たいのがシーヴェンスの酒場である。彼もそんな連中の一人だった。

「おいおい、兄ちゃんシケてるな。水ばっかり増えたって酒は美味しくならないぜ。すっかり氷が溶けてるじゃねぇか」

 グラスを無意味に見つめながら物思いに耽っていると、顔を真っ赤に茹で上げた男が話しかけてきた。呂律が回っているところを見ると、見た目ほど酔っては居ないようだが。

「なに、シーヴェンスの酒は美味しい分だけ高いからな。貧乏人としては、ちょっとでも嵩増しさせて、出来るだけ長く楽しみたい訳さ」

「おいおい、ケチ臭いねぇ。この国まで来て、そんな飲み方してるヤツは居ないぜ。それじゃ満足に酔えもしない」

 呆れたような声音に苦笑する。すると、男は頼みもしないのに俺の正面へ腰掛けて、それ水じゃねぇか…とぼやく。

「お前は何しに酒場に来てるんだ、全く……」

「酔わなくて良いんだよ。俺は酒を飲みに来た訳じゃない」

 困ったように肩をすくめる。すると、男のヘラヘラとした表情が瞬時に引き締まった。未だに氷の解けたグラスを揺らしている俺を見定めるように、ねっとりとした視線を向けてくる。そのまま、男は繰り返した。

「酒場は酒を飲みに来るところ、だぜ。他に何の用がある?」

 男の視線は質量さえ伴って襲ってくる。しかし対する方は苦笑しただけだった。グラスに口をつけ、思い出したように話題をふる。

「……そういえば、この国のお姫様。縁談が決まったらしいじゃないか」

 一瞬の逡巡が間を作る。その間、彼は水っぽくなったグラスを見つめて微笑むだけだ。

「……耳が早いな。何でも相当の強国に嫁ぐらしいぜ。『三帝国』クラスだっていうじゃねぇか」

「それは何より。深窓の美姫として名を馳せたリュティーベル姫だ。嫁ぎ先は諸手を挙げて迎えてくれるだろうよ」

 カラン、と氷の欠片がグラスに当たる。ほとんど溶けてしまったそれは、衝撃に耐え切れずに小さく割れた。

「ああ、それにシーヴェンスは酒が美味い」

「良いこと尽くめだ」

 軽く肩をすくめて、男が言う。それを相変わらず微笑みのままに見つめていると、男が呆れたように天を仰いだ。

「……分かった、参ったよ。何が知りたいんだ?」

 単なるお坊ちゃんだと思ったのに、と言う男の嘆きを無視して、彼はわざとらしく驚いてみせる。

「何だ、お前が情報屋なのか。それなら話が早い」

 情報屋の男は嫌味にしか見えない仕草に鼻を鳴らすと、ジェスチャーだけで先を促した。彼もすばやく視線をめぐらせて、盗み聞きが居ないか確認する。幸い、このテーブルは店の最奥で周りに客は居なかった。小さく呟く。

「――昨夜、その姫がさらわれたってのは本当か?」

 情報屋も察しがついていたのだろう、間髪居れずに頷く。

「らしいな。少なくとも城には居ないとさ。メイドが言うには『ちょっと目を放した隙にやられた』らしい」

「『やられた』…ね。その口ぶりだと、本当に一瞬だったんだろうな」

「分からん。ただ、結婚を前にした姫は城に居ない。王家は必死に隠してはいるが、同時にギルドを通じて姫の行方を捜してるからな。俺みたいな末端まで話が回ってくるとなると、ギルドから優先的に情報を貰ってる『勇者様』は、とっくに方々旅立ってる頃だろうよ」

 憎憎しげな男の声に、彼は――今度は純粋に――驚いてみせる。

「……こんな仕事に『勇者』が出張ってるのか?」

 男が頷く。

この世界には、『勇者』を養成するための学校がいくつも開かれており、『勇者』とはその学校を卒業して勇者免許を勝ち得た者を指している。彼らはその武具に独自の「紋」を彫っており、その紋には様々な特権が与えられている。
 一方、学校を卒業せずに武器を持つ者は『勇士』と呼ばれ、『勇者』とは一回りも二回りも差別されている。当然、紋も無ければ特権も無い。ギルドに登録しているだけで、少し強いだけの一般市民と変わらないのだ。
 残念ながら、ローラもこの『勇士』に分類されていた。
「勇者の連中なら、王国お声掛かりの割りの良い仕事がたくさんあるだろうに。何だって、こんな……」

一国の姫の誘拐劇を『こんな』呼ばわりとは不届き千万だが、男も同じ考えらしい。尚も神妙に頷いた。

「ギルドからの極秘情報だ、漏らすなよ?

 ――リュティーベル姫は魔王にさらわれたんじゃないか、って話なのさ」

 その言葉に、さっと視線を走らせる。客は居ないと確認したばかりだというのに、彼の驚きようが分かるというものだ。

 ややあって、彼は小さく嘆息するとズルズルと椅子にもたれかかった。やる気の無さを全身でアピールする。

「……何だ。じゃあ、俺の出る幕はない訳か」

「そういうことだ。坊主は水飲んで帰って寝てろ」

 苦笑交じりに言った男は、餞別代わりにリュティーベル姫の絵姿を投げやると、それきり興味なさそうに店を出て行った。カランカラン、と涼やかなベルが鳴り、店主の「毎度ぉ」という声が追いかける。

 彼はベルが鳴り終わるまで、ぼーっとリュティーベル姫の絵姿を眺めていたが、男の気配が完全に遠のいたのを確認するや否や、手にしていたグラスを一気に煽って立ち上がった。

 カウンターに御代を置いてドアを開けると、ベルの音に気付いた店主が、先ほどと同じように抑揚の無い声で毎度ぉ、と声を掛ける。何とはなしに左を見てみると、夕焼け空の中にそびえるシーヴェンス王宮が眼に入った。丁度、真正面に当たるバルコニーには、度々王族が顔を出し、人々に手を振っているというが、今日は誰の気配も無い。リュティーベル姫の婚約のニュースは民を駆け抜け、道行く人は一様にチラチラとバルコニーを見上げていた。姫が出てくることを期待しているのだろう。

 あの城に姫は居ないのに。

 彼は滑稽な民衆の間をすり抜けて、城の方へ足を向ける。ただし正門へは近づかず、物資の搬入などを行う南門へ歩いていった。こちらは王宮からの認可が出た業者のみが近づける場所だが、顔の広さには自信がある男である。少々の交渉だけで、難なく南門を通過した。南門を通過したところで、すぐに王宮があるわけでは無いから、見張りも少ない。

南門は城の真裏に辺り、背後を守るように生い茂る森に面している。姫をさらうのであれば、こうした人目に付かないところから逃走したのだろうと思い、調査に来たのだが。

「……ロープ?」

 とある一室から、極上の布織物でこさえられたロープが垂れている。開け放たれた窓からヒラヒラ揺れるカーテン(だったのだろう、あれは)を見て、彼は眼を瞬かせた。

「ね、ねぇ。ちょっと良いかな?」

 慌てて食材を見定めにきたメイドを捕まえる。まさか、と思いながらも問うた答えは、姫様から「ちょっと目を放した隙に『逃げられた』」だった。

 あの情報屋もまだまだ甘いな、と呟いた彼の顔は不思議に微笑んでいる。その顔は奇しくもリュティーベル姫が持っていた『ローラ』の似顔絵とそっくりだ。

それにしても、姫君の小旅行にしては王宮裏の森は危険である。男――ローラルタ・ジキストは嘆息すると、愛用のレイピアを構えて森へと向かっていった。

街道沿いに『落し物』を見つけたのは、それから二日後のことである。

ついに私も雨風呂デビュー

ランキング上位になると賞金とか言う、素敵制度に惹かれて始めちゃいましたが…

まぁ、実際そこまで人気ブログにはならないので(断言)

マイペースにコツコツ更新出来たら良いかなぁ…なんてヾ(´▽`*)ゝ


ライブドアとの比較検証にもなるし、取り敢えず3日坊主にならないように頑張ります