★natuki★のブログ

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震災から3週間が経ち被災地の陸前高田ではさまざまなトラブル


増えてきている。。。


テレビや新聞では伝えられない・・・伝わらないコトを書いて


みたいと思う。。。


避難所では未だに家や身寄りがなく帰る場所がない人たちが体育館


や公民館で生活を続けているが・・・最近、被災者同士でつまらない


ことでのケンカが増えている。。。


ケンカの原因はさもないコトらしいが、みんなストレスでイラだってるの


がわかる。。。


避難所では小さい子供やお年寄りの人が多い。やはり小さな子供に


とって集団生活は慣れないもので、よく夜中に泣き出すコトが多い


らしい。。。それは仕方ないコトだとみんな頭ではわかっているが、


夜中に子供の泣き声がするのは確かに良い気はしないだろう。。。


そういうコトも原因の1つで、大きな原因は支援物資が足りてきて


日々の暮らしに不安を感じなくなると、次に心配するのがこれからの


生活や仕事、そして車や家が流された人たちは借金を抱えたまま


次の車や家を購入しなきゃならない・・・。


そういうコトを考え始める時期に入ってきたみたいだ。。。


避難所でのトラブルだけじゃなく、避難所には来ないで親戚や親、


兄弟の家に避難している人もそうだ。


やはり、今まで一緒に暮らしていない人が自分の生活に入ってくる


とそれだけでストレスになる人もいる。


結局、家には居づらくなり避難所へ来るという人も中にはいるらしい。


外では、ガレキの撤去という名目で金を拾う小学生や中学生、


中には大人もやっきとなって自販機やATMを荒らしてたりする。。。


あくまで捕まった人の話だが・・・強盗事件や空き巣も発生している。


強盗事件はヒッチハイクを装い車に乗り込みナイフで脅し金を奪う


という中国人による犯行があった。。。


実際にオレの家にも泥棒が入り、灯油を盗まれガラスを割られて


家の中を荒らされたが幸い金目の物は持って避難していたので


それ以上盗まれるコトはなかった。


子供を狙った誘拐未遂やレイプ未遂事件も発生していて治安が


悪くなる一方だと痛感した。。。


また、夜になると幽霊の目撃証言が多い・・・。


イトコは友達と人魂を目撃し、小学校に避難している人は外に


人影がないのに毎日戸をノックされたり、明らかに人が入る


隙間がないのにガレキに下から助けてと呼ぶ声がしたり。。。


夜デジカメで写真を撮るとオーブだらけだったりと・・・


阪神大震災の時も同じようなコトが起きたらしい。。。


早く前みたいな平和な陸前高田に戻ってほしい・・・(´・ω・`)


避難所生活が終われば戻れるかなぁ。。。。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

続きです。。。


オレはお袋の職場である陸前高田市役所を目指すことにした。


車で道といえないような砂利道を山側から回り込んで街まで


行き、ようやくたどり着いた所が陸前高田市の小学校。


そこからは歩きでしか行けなくなっていた。


地元の人が境界線を張っていて、止められたが自己責任で


行くならいいよと言われムリヤリ街に入ることにした。


瓦礫の山を登って頂点から眺めた景色は今までの街とは


かけ離れた風景だった。。。


とりあえず、市役所の方角へ向かうことにし、進んで行くこと


数百メートル・・・明らかに死んでいるとわかる遺体が2,3体。。。


街全体から異臭もする・・・これはちょとムリだと思い仕方なく


諦め引き返すことにした。。。


2日後ヘリコプターで市役所の屋上から救助された人がいる


と聞き急いで避難所まで行きやっとお袋と再会することができた。


その2日間はほぼ寝ることが出来ず、夜は余震に悩まされ、


昼は瓦礫の撤去、避難所での名簿作成等で心身ともに疲れ果て


ていた。。。


お袋から聞いた話では、津波がきた時目の前の市民会館へ避難


した人とそのまま市役所の屋上へ避難した人と別れたらしい・・・


お袋は最後の最後まで残ってる人がいないか確認して屋上へ


上がっていったら10数人しか屋上にはいなかったらしい。。。


ほぼ半数以上の人が市民会館へ避難したのだが、その


市民会館へ避難した数百人のうち助かった人は・・・11人。


全て津波に飲まれ奇跡的に助かった人がたったの11人だった。


その中にオレの友達の奥さんが含まれていて話を聞いたが、


一瞬のうちに波に飲まれ、奇跡的に浮いてこれて窓から出ること


が出来て外にある倉庫みたいな建物に掴まって助かったらしい。


つまり窓から出ることが出来なかった人はほとんど助からなかった


ということだ。犠牲者の中にはオレの中学の時の保健の先生で


あり、お袋の幼なじみである人が含まれている。。。


なのに、悲しいそぶりも見せず避難所で救護活動をしているオレの


お袋がいる。ホントは泣きたいハズなのに・・・。


時間が経つにつれ犠牲者の中にはオレの知り合いや、昔一緒に


遊んでいた先輩が含まれているのを知りまた悲しくなったが、泣くこと


も出来ない。遺体を見たワケではないしまだ信じたくないという気持ち


のほうが強いのかもしれない。。。


ただ何よりツラいのは、行方不明の家族を探すためにオレのお袋


を訪ねてくる人達を見るのが1番ツラかった。。。


唯一の救いがオレの同級生や近い友達、家族、親戚が全員無事だった


ということ。


時間が経ちなんとか道路が復旧してきたので街並みを写真に収める


ことができたので貼っておきます。


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これが自宅の庭から撮った津波がきた後の写真。



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車の中から撮った瓦礫の山。



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ちょっとした高台から撮った陸前高田市。


一面に家が並んでいたのに今は鉄筋の建物しか残っていない。


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お袋が救助された市役所・・・よくこれで助かったな。


もう街とは言えないような状況にただ立ちすくむしかなかった。


でも全国から義援金や支援物資などを送ってくれた人たちの


善意をムダにするワケにはいかない。


必ずこの状態からまた復興してみせる!!


長野や阪神大震災だって乗り越えてきたじゃないか!!


オレもなにが出来るかわからないし、やれることなんて限られている


けど、できるかどうかじゃない!!やるかやらないか!!


それだけだから。


自分の育った街だから絶対にまた復興して欲しいと願うし


必ず復興するって思っているから!!


最後に全国のみなさん、支援ホントにありがとうございます♪


こういう立場になって初めてわかったよ♪


ホントにみなさんの気持ちが嬉しかったです♪(≡^∇^≡)


1人じゃない、日本中が被災地を心配してくれてるのがわかって


涙が出そうでした。


この場を借りてオレ1人じゃなく、陸前高田市出身の1人の住民と


して御礼を言いたいです。


ホントにありがとうございました♪(ノω・、)

久しぶりに帰ってきました。。。(;´▽`A``


というのは、3月11日に発生した東日本大震災のせいで


オレの地元の陸前高田市が壊滅したからです。。。(ノ_・。)


遅れましたけど・・・みなさんはどうでしたか?


無事なんでしょうか・・・。


まず、順を追って今までの経緯を説明すると・・・


3月11日の午後2時46分に震度7、マグニチュード9.0の


国内最大の地震が発生しました。


オレは会社へ出勤する時で、ちょうど会社の駐車場に着いた時、


携帯の地震速報が鳴り、ものすごい揺れを体験しました。


こんなことをいうのもなんですが、自分の住んでる地域は


大きい地震がけっこう来るので何回も体験はしてるけど、


今回の地震は過去の地震と比べても比較にならないほどの


揺れだった。。。


過去には宮城県沖地震、三陸沖地震どれも震度6を超える


震度を経験したことのあるオレも今回は立ってるのがやっとの


揺れだったのを今でも覚えてる。。。


会社に来てからの地震なのでいったんは会社の中庭に集められ


その時に二回目の地震が発生した。。。


その時、オレらは携帯のワンセグで津波が発生したことを知り


友達同士で『こりゃやべぇな!!www』


『誰々ん家はもうダメじゃん!!www』


みたいなことを冗談混じりで笑い合っていたが、心の中では


大丈夫だろう的な感じに思っていたので言えたことだった。。。


会社からやっと帰宅許可が出て、大丈夫だろうと思いながらも


急いで実家がある陸前高田市に帰ることにした。。。


オレは岩手県の内陸部にアパートを借りて内陸で仕事をしている。


実家のある陸前高田までは車で1時間半もあれば着く距離だ。


ところが、会社を出てすぐ異変に気づいた。。。


信号が全て消えていた・・・おかげで街中大渋滞。。。


オレは回り道をしながら何とかアパートまでたどり着き急いで帰る


準備をし帰宅することにした。


ここでも、まだ現実味がないのでオレは地震で家中汚くなってるだろうから


掃除機やピグする為にパソコン等持っていくことにしていた。


飛ばせば1時間ちょいで着く・・・車を走らせしばらくすると地面に地割れが


あるのが目に入った。。。結構ヒドい地震だったんだなぁ・・・


のん気なものだった。。。


やっと地元に着くという所まできたのに、いつの間にか大渋滞にハマって


しまった・・・なんでだ?心の中で焦っているのに車はなかなか進まない。


やっと先頭車両が見えてきた時、通行人がいたので聞いてみたら


この先は津波が来て土砂があるので車では通れませんよ!!


信じられない言葉だった。。。なぜならそこは海から10キロ以上離れた


所だったからで、オレの家まで後数百メートルの距離だったからだ。


オレは初めてそこで焦りを感じた・・・


オレの家はどうなった?家族は?前のカミさん、子供はどうなった?


頭の中がそれでいっぱいになった・・・


車を急転回させ回り道を急いで家の方向へ走らせやっとの思いで


家まで辿り着いたのに家の前が通行止めになってる。


警察に事情を説明し家まで入って愕然とした・・・家の1メートル手前まで


津波が来た後が残ってる!!


電柱は倒れ瓦礫が散乱していた・・・


急いで家の中を確認したが誰もいない。。。


とりあえず、子供が心配になり近くの避難所へ行くことにした。


途中でカミさんの実家があるので確認したら車があるのが見えた!!


良かった!!無事だ!!


急いで家の中に入り子供と無事に再会することができた。


思わず泣いてしまった。。。


無事で良かった・・・ホントに良かった。。。


話を聞くと、小学校の校庭に避難していたところ防災無線で津波が


防波堤を超えてきてます!!早く高台へ避難してください!!


と聞こえてきたので、子供だけで高台へ避難してきたそうだ。。。


元カミさんは子供を迎えに行ったが見つけられず、目の前まで


津波が迫ってきたので仕方なく逃げたそうだが、無事友達の家に


いるところを偶然発見し見つけることができたらしい。。。


ホントにギリギリだったみたいだ・・・。


子供が無事なのは確認できたが、お袋とアニキがいない。


アニキの仕事場は高台にあるので大丈夫だと思っていたが、


お袋は市役所にいる。。。小学校よりも全然海の手前側にある建物だ。


この様子では市役所も危ないな・・・と思いながらも、4階建ての建物だから


何とか無事であることを祈ってその日は捜索せずに車で寝ることにした。


車で寝るといっても気が高ぶってるので一睡もすることができず


車の中で一晩中ニュースを見ていた。。。


ニュースでは壊滅的な被害を受けた気仙沼、仙台市の若林地区、


沿岸の宮古市、釜石市・・・そして陸前高田のニュースをやっていた。


ニュースを見るたび、お袋が生きてるという希望が砕けていくような


気にさせられた。。。


やっと長い夜が終わり、とりあえず車にガソリンを補充し適当に


ご飯を口に入れ街中へお袋を探しにいくことにした。。。


続きは②で・・・