昔、喜劇王と言われた人がいた。

 


「チャップリン」

 


彼の表現する世界には言葉は無い。


その愛苦しいパフォーマンスに人々は魅了され
そして皆、彼を愛した。

 


彼のパフォーマンスに言葉があったなら
同じように、いやそれ以上に愛されただろうか?
それとも、失笑をかっただろうか?


それは、分からない。

 


愛しい時、感動した時、何かに触れた時

そこに言葉は無い。


ただ、静かに感じている。

 

 


自分を表現する。


それを伝える為のひとつの道具が


「言葉」


だけど、今はその道具の言葉に操られている。

解釈と言う罠に。

 

 

 

道具だから、それは癒しにも凶器にもなる。
どちらを表現するかは、それは使う人しだい。

 

 

言葉をバラスと

ただの音階と、ただの形状

それは、無意味。

 

 

 

互いに触れたいと思う。
その中央に。

 

 

 

触れたくて触れたくて
言葉をどれだけ使っても
何処まで行っても、触れる事はできない。

 


何処まで行っても、それは私の中。

 

 

 

本当は言葉はいらない。

 

 

 

もしも、言葉のない世界に行けたなら

そこは優しい世界かな。