大人の階段のぼる
君はまだシンデレラ っさ
私は階段を上っているのかな?
たまには下る時もあるかもしれないけど・・・。
ちょっと気を抜くと、人の事が気になるお年頃
ついつい外の事に目がいってしまいました。
と言いますか、12日の記事で書いた
「サバイバル」
のちょっと続きですが・・・。
私の知らない所でいろんな事が起こってるんだなと思ったら
人の心を突いてくる心理戦のような感じがして。。
そう思うと、これからの世はサバイバルだと思ったしだいで書いたのですが
でも、サバイバルだと、そう言う目で見たのは私。。。です。
でも冷静に見れば、ただビジネスをしているだけなのでしょう。
そこで私は、自分がサバイバルと言う目で観ている事に気がついたのですが
ここで立ち止まり内観し反省しなければ、世の中誰も信用できない自分の身は自分で守らねば・・・。
と、この世はサバイバルだ!という目で見続ける人生を送るのでしょう。(極端な話)
そして、周りは全部敵だらけ、いつも自分の身を守るため周りに目を光らせ
いつも興奮状態で生活を送るようになる。。。
おっとととっと・・・。危ない危ない・・・。
どんな事でもそうですが、どんな思いで物事を観るか、自分の思った感情・思考で観ている物事は本当の姿ではありませんね。。
逆を介せば良い行いとして観るのなら、それはすばらしい世界として映るわけです。
とすれば、すべての出来事は自分が抱いている感情ひとつで、どうとでも変化するという事になります。
自分の都合のいいように観るという訳ではありませんが、物事を冷静に分析する事が必要になってきますよね。
サバイバルとして観た私には、そこからさらに、なぜそう思ったのかを考えてみる必要があります。そこから、自分の価値観、考え方に拘り、偏見なり観る事ができるのです。
ただビジネスをしているに過ぎないであろう光景の中に、私は良くない感情を抱いた!
それは、なぜか?
ここから分析タイムです。。
こうやって一つ一つ紐解き作業をやっていってます。
ともすれば世の中を良く見るも、悪く見るも、私の見方、考え方次第という事になります。
「何を見、どう思うのか」
と言う事は、自分の周りの世界は、自分の心が創造している世界に繋がるんですよね。
自分の思い描いた、創造の世界を見ている、その中で生活しているが、果たしてそれは、真実か?
って感じですね。
そして、サバイバルの記事を書いた次の日は、自分を省みなさいというメッセージがワンサカ!でした(笑)
いろんな気付きを貰いました、ありがとうございます!
そして、私の色眼鏡で記事を書いてしまいました。
ごめんなさい。
色眼鏡からみた世界でなく、あるがままを観る
これからも、内観しながら自分を正していきたいと思います
そして、ちょっとお節介で別に言いたいことがあるのですが
人に何かを教える先生とか、講師の方とかは気をつけなければならないと
聞いたことがあります。
そこにはプライドがあるから
人に何かを教えるのは優越感に浸れる部分もあるので
「自分は知っている」、「相手は知らない」を前提に話をしている段階で上下間が成立している、これはプライドという人の中にある一番取るのがやっかいな感情です。
そんな事を言っては何も話せなくなるようで、難しい感じがしますが
ここで言うプライドは自分の信念と言う意味ではなく
いろんな事を知っていると言う、おごりや傲慢な感情の事をいいます。
この段階で、人と自分は違うのだと区別し、いつも知っている自分でいなくてはいけなくなり
「知らない」と言う素直な感情も打ち消してしまう
知らないと言う事は、真実にぶち当たる事で「自分は何も知らない」
と認められなければ、それは一気に恥という地に落ちます。
だから賢者は「バカになれ」と言うのでしょう。
無知の知を知れと・・・。
愚かにして 愚かさを知るのは、
愚かにして 賢いと思うより まさっている。
愚かな人は 常に 名誉と 利益とに 苦しむ。
上席を得たい、権利を得たい、利益を得たいと
常にこの欲のために苦しむ。
なので、私も知らない事は知らないと、素直に言いたいと思いますし
素直に認め受け入れる自分でありたいと思います。
自分と向き合った中に、自分の中にあった事が映し出されたのでしょう。
私の中にあった一部・・・。
だからそんな所にたどり着いたのでしょうね・・・。
それは引き寄せであり、波長で引き合った
恐るべし・・・。
ダイソンなみの吸引力・・・。
と反省してみました
という事で、私の反省文にお付き合い下さって、ありがとうございました
今度は楽しい記事をかぁ~こう