こんばんわ

凍てつく夜風が 白い吐息が

「静寂」という寂しさにふさわしい感情を生む季節になり

折しも今日「12月8日」に僕にとって特別の想いがあります

この日は在りし日の日本人が未来の私たちに

「人は生まれた国や文化、人種の違いを持って差別されることなくすべて平等である」

(ちなみに僕は右派でも左派でもありません)

という事をその生命をかけて教えてくれた出発の日だと思っているからです

この戦争において私たち多くの現代人は「特攻」をただ馬鹿な行為だったと教えられ

「原爆投下」を悪いことをしたから当たり前だなどと教えられてきましたが・・・


本当にそれだけだったのかと・・・

ここに信じて良いことがあります

遥か太古から受け継がれた「人を想い国を想う心根」を持っていると・・・

日本は明治という時代「開国」を通じて「世界」という現実を見渡します

そこで見たものは・・・近代化が進んだ欧米列強は軍事力という力で弱い国々を

次々に植民地化している・・・このままではいつか日本にもその危機がくる

日本は自存自衛の為「富国強兵」による近代化政策をすすめます

その頃ヨーロッパでは旧ドイツによるユダヤ人差別が始まり 迫害をおそれた人々は

国外へ避難を開始しその波はやがてアジアへ押し寄せます(その数約3万人)

これを見かねた外交官「杉原千敏」氏はユダヤの人々を列車で上海へ無償輸送します

当時日本はドイツと同盟関係にありましたが 関東軍少将「樋口李一郎」氏 満州鉄道総裁「松

岡洋右」氏が協力し さらに・・・

軍参謀長であった「東条英機」氏はドイツの抗議をはねのけて列車輸送を続けた事はあまり知ら

れていません

その後 日本は国策として「猶太(ユダヤ)人対策要項」を策定します

さらに・・・

当時加盟していた世界連盟に人類で初となる

「人種差別撤廃提案」を提出しますが・・・否決されます

日本は大正から終戦までの間 政策標語として「八紘一宇」という精神論を

広く使うようになります

語源は日本書紀巻第三「神武天皇」の条にある「掩八紘而爲宇」の文言を縮約したもので

「八紘」とは天地を結ぶ8本の綱 「一宇」とはひとつの家の屋根をさして

世界は・・・

「人種も風俗もノベラに一つにするというのではない、白人黒人東風西俗色とりどりの天地の文、それは其儘で、国家も領土も民族も人種も、各々その所を得て、各自の特色特徴を発揮し、燦然たる天地の大文を織り成して、中心の一大生命に趨帰する、それが爰にいう統一である」


そして日本は東アジアに蔓延る植民地を一掃し日本が主導してこれらの国々の近代化を図り

独立させ共に発展していくことを持って「大東亜共栄圏」の理念としました

そしてあの戦争へと突入していったのです

多くの生命を奪う戦争は僕も断固として反対です

でも弱肉強食と言われたあの時代・・・

戦わなければ日本は「植民地」化されたかもしれな時代でした

僕たちの祖先はそんな時代に終止符を打つべく「勝てない戦」に敢えて臨んだと思います

聞こえてきませんか・・・

「私たち小さな日本人はあの時 大きな白人を追い払う事はできなかった・・・

   でも・・・その事と「正義」を主張する事は絶対に違う」   と・・・


そして50年後 100年後に生きる私たち子孫にそう伝えたかったのではないかと


見渡せば・・・世界では未だ多くの生命が脅かされています

日本人として生まれた「誇り」

世界に断固たる正義の実現を可能にすのは「日本人」であると言うアジアの多くの人々の希望と

あの戦争で亡くなったすべての生命の希望のために・・・

そして人類の未来のために


僕たちはまさに今 過去から問われているように思えてえてなりません

誰かの小さな幸せの為に・・・ 

「その目と耳と心を大きく見開いて世界を見て欲しい」

                     ~ 特定秘密保護法案が成立したこの日に ~

最後に・・・もうひつつのメッセージを終章にて

おやすみなさい



The eternal future ~ 受け継がれし心 ~



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~ダグラス・マッカーサー証言~

In the Pacific we bypassed them.
太平洋では、米国は日本を迂回しました。

We closed in.
そして閉じ込めたのです。

You must understand that Japan had an enormous population of nearly 80 million people, crowded into 4 islands.
日本が抱える八千万人に近い膨大な人口は、四つの島に詰め込まれていたということをご理解いただく必要があります。

It was about half a farm population. The other half was engaged in industry.
そのおよそ半分は農業人口であり、残りの半分は工業に従事していました。

Potentially the labor pool in Japan, both in quantity and quality, is as good as anything that I have ever known.
潜在的に、日本における予備労働力は、量的にも質的にも、私が知る限りどこにも劣らぬ優れたものです。

Some place down the line they have discovered what you might call the dignity of labor, that men are happier when they are working and constructing than when they are idling.
いつの頃からか、彼らは、労働の尊厳と称すべきものを発見しました。つまり、人間は、何もしないでいるときよりも、働いて何かを作っているときの方が幸せだということを発見したのです。

This enormous capacity for work meant that they had to have something to work on.
このように膨大な労働能力が存在するということは、彼らには、何か働くための対象が必要なことを意味しました。

They built the factories, they had the labor, but they didn't have the basic materials.
彼らは、工場を建設し、労働力を抱えていましたが、基本資材を保有していませんでした。

There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm.
日本には、蚕を除いては、国産の資源はほとんど何もありません。

They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack a great many other things, all of which was in the Asiatic basin.
彼らには、綿が無く、羊毛が無く、石油製品が無く、スズが無く、ゴムが無く、その他にも多くの資源が欠乏しています。それらすべてのものは、アジア海域に存在していたのです。

They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan.
これらの供給が断たれた場合には、日本では、一千万人から一千二百万人の失業者が生まれるという恐怖感がありました。

Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.
したがって、彼らが戦争を始めた目的は、主として自衛に必要に迫られてのことだったのです。

                       1951年5月3日アメリカ上院軍事合同委員会にて


この戦争の目的については諸説語られていますが・・・

 1945年8月15日に昭和天皇陛下が国民に発せられた「大東亜戦争終結の詔書」にて

 その真意が語られています


今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました

明日という1日があなたに素晴らしい日常を与えてくれますように・・・

                          by たっちゃん