こんにちは、Moです!
今回は応募に至った経緯と合格までをお話ししたいと思います。
今でこそホンジュラスに愛着を感じているのですが、実は3年ほど前まではあんまりラテンアメリカ自体に興味がありませんでした、、、
マチュピチュやウユニ塩湖などはいつか行きたいなとは思っていましたが、本当にその程度でした。
私は大学ではスペイン語を専攻していて、本当ならラテンアメリカに興味くらい持っていてもいいと思うんですが、当時私はスペイン近現代史と現代のオーバーツーリズム問題、スペインの文化芸術の方向に興味が向いており、全然見向きもしていませんでした。一番身近なネイティブもスペイン人でしたので…
大学3年を迎えると私は日本人の先生のゼミに入りました。ゼミの選択肢が3つあったのですが言語学方面のゼミに進むつもりはなかったし、もう一つのネイティブがやっているゼミはほぼ留学帰りの生徒のみの募集でした。正直消去法みたいな所はありましたが、先生がすごく好きな先生だったのでとっても満足していました。全てのゼミの講義内容がほぼスペインに絡まないことが唯一の不満でした。
しかし初回授業が開講してすぐに私は自分の浅はかさを恥じました。めちゃくちゃ講義が面白い。オリエンテーションを除けばほぼ先生の海外生活の話や推しの作家の話(先生は文学博士でいらっしゃいます)の授業だったのですが、90分とはこんなに短いものだったのかと思いました。
複雑な背景を有する根深い社会問題、温かい現地の方々、バイオレンスと金融政策、ラテンアメリカのポピュリズムと個性派独裁者の方々。耳にする全てが新鮮で面白くて、授業のたび楽しくなったり心を痛めたり、卒業までの2年間で文学やら政治経済やらラテンアメリカ史、現代まで尾を引くアメリカとの関係性、解放の神学、色々どっぷりラテンアメリカに浸かりました。ゼミに在籍して1年経つ頃には既にラテンアメリカにズブズブのオタクが出来上がっていました。
そろそろ就活という頃、留学に行っていた友人数名が帰国しました。金銭的な余裕がなかったので私は行けませんでしたが、みんなそれぞれ色々な経験を糧に一段と強くなって帰ってきていました。それを見て、自分はこのまま今の自分で社会に出たくない。海外に出て、世界を見て、強くなってから社会人になりたいと思うようになりました。
自分は社会問題に対して関心がある、ラテンアメリカが好きだ、ラテンアメリカに何か恩返しもしたい。スペイン語もそれなりに頑張っている。あと足りないのは経験だけ。そんな気がしていました。
昔、私の母はよく「結婚しなかったら青年海外協力隊に参加したかった」と言っていました。
それからぼんやり頭の中にあった青年海外協力隊が
進路を意識したこの時に初めて明確に選択肢として私の前に現れました。
絶対に青年海外協力隊になりたいという決意が芽生えたのはこの辺りだったと思います。
その後はもう勢いに任せてでした。塾講師のバイトをしていた経験や子供時代に長期間美術教室に籍を置いていた経験から、子供に関わる青少年活動を選択しました。
一次の書類選考は順調に合格、
二次はまさかの私の誕生日に行われました。
誕生日は来て欲しいけど面接日は来てほしくない、午前から緊張で腹痛、眠りも微妙に浅くてガチガチでした。
面接は技術面接→人物面接の2つでした。
技術面接の面接官の方は本当に優しい方々で…ど緊張でカミカミの小娘の話に優しく相槌を打ちながら面接してくださいました。個人的には人物面接がしんどかったです。何というか、人としての折れない強さ、タフさを見られているような気がしました。したい活動についても、もしうまく行かなかったら?やもし活動させて貰えなかったら?のように最悪の事態に直面した時の気持ちの持ちようを聞いて来られる事が多かったです。これが圧迫と呼ばれる所以なのかなと思いました。でも、これくらいで凹むようでは現地ではやっていけないでしょうし、こうやって篩がかけられて行くんだなぁと思いながら面接を終えました。
それからしばらくして合格発表日、もう正直不安とか緊張とかで色々ぐちゃぐちゃで色んな人に心配をおかけしつつでしたが、無事合格通知を受け取る事が出来ました。
と、こういう経緯で現在に至ります。
来月から本格的に訓練が始まるので早くスペイン語に馴染んで行けるように頑張ります!
めちゃくちゃ長くなったので今日はここまで。
ではまたお会いしましょう!
Mo
2025. 8.14