BEAMトレーニング以外の記事はお久しぶりかな。
ネタが無いのと、忙しいのと、病院行っていたせいでずっと更新が止まってました。
この時期にしては珍しく、風邪を引いてしまいました。
6月とはいえ、晴れの日が続いていて、まだ梅雨入りしていないのにね。
あ、もちろんですが、五月病じゃないからね。(笑)
むしろ仕事は順調に進んでいたので、ここにきて休むのがもったいないと思っていたぐらいです。
さてさて、今回の肴話題はこれ。
京都でボイトレ。なつかしいですねー
じゃなくて、この記事は京都の人がボイトレをやったのではなく、わざわざ京都にあるお寺まで行ってボイトレをしたそうな。夏夫の逆バージョン
日蓮宗青年会というところが主催だそう。
たしかに、最近はお寺もあの手この手を使って色々なアピールをしていますね。某アニメの名言を載せるとかね。
ボイストレーニングもその一環なのかな?詳しくはよく分からないけど。
ちなみに、どんなトレーナーかも見ておいた。なるほど。オペラ側の人間ですね。
プロフィールに好きな曲を書かずに合気道と犬の話を載せているのはいったい…?合気道や犬がボイストレーニングと関係あるの?
ツッコミどころ満載ですが、とりあえず、音大卒のクラシックのボイストレーナーが教えているってことで。
理論→実践→公開個人レッスンといういかにもクラシック系の人が好みそうな順番でレッスン。
個人レッスンだったら、まず歌わせてみて、フィードバックを与える。というやり方ができるけど、グループレッスンだからこの順番なのかな?
>最後は志願兵を募って2人の方へ公開個人レッスンでした。
志願兵というより、どちらかというとアイドルじゃね?
声の悩みを持つ人が多いみたいだから、相当競争率高かったと予想されます。
薄っぺらい
どういうことですかねー?薄っぺらいと何がダメなのでしょうか?
でも、他のお坊さんの意見としては、別に薄っぺらくはないんだよね。
単純に好みの問題なのかもしれません。
そもそも、単に「薄っぺらい」って言われただけで主語が無いので、いったい何が薄っぺらいのかも不明です。
伝統モノあるあるかー
まあそうだよねー
言い換えると指導力不足。
>今使ってる筋肉の組み合わせでは望む声が出ないということだから、違う筋肉を働かせてバランスを変える必要があります。
これも伝統モノあるあるだよねー
違う筋肉を働かせてバランスを変えた「つもり」。
BEAMの位置を変える。とかであれば、明らかに違う筋肉が働いているなとは思いますが、そうじゃない、喉周りの筋肉とかだと、どうしても「つもり」になっちゃいますね。
>でもここで多くの人がやってしまいがちなのが、息を強く吹き込んだり、力を込めたり、という風に、バランスは変えずに出力を上げることです。
いや、出力を上げることにより、バランス自体は変わりますよ。
ただ、良い方に変わるか、悪い方に変わるかというと、別物ですが。
BEAMとかを自力で発見できればいいですけど、そんなの、なかなか発見できないから、結局は出力を上げてバランスを変えた「つもり」になるしかないのでは?
>声帯も簡単に痛めてしまいます。
これも伝統モノあるある。
これ、実際に病院とかで整体を見てもらったんですかね?
そうでなければ、痛めてしまった「つもり」ですよ。
夏夫的に、痛める(傷める?)のは整体だけじゃないと思う。
「お腹から声を出して」もそうですね。
お腹から声を出すといえば、牧野先生。
牧野先生の解説通りなんですよね。お腹から声は出ません。
次は「一回枯らしてこい」の話。これも伝統モノあるあるですねー
あるいは、「たくさん歌えば上手くなるよ」というのもこの類か。
>声を枯らした結果、大きい声は身についた上にダミ声が混じるようになり、それが「味」や「深み」として良い方に作用することもたしかにあります。
こう書くんだったら、それはどういう場合か?どういう条件が必要か?まで書いてほしかった。ボイストレーナーなんだから。
>お坊さんは声は大事だけど本質ではない
これはどういうこと?
大事だけど本質ではない?
声は大事だけど、声を研究しない。ということ?
>練習する時は声帯が乾くから5分おきに水を飲み、(以下略)
これって病院で診てもらったのでしょうか?
どうして整体が乾くって分かるのでしょうか?
整体が乾いてなくて、喉全体が乾いているって可能性は?
水を飲むってことは、喉が乾いて(渇いて?)いるんですよね?
で、(声楽の)先生に相談すると、声を枯らせ。となった。というわけか。
>「枯らす」という言葉にも、「問題」とされている現象にも奥行きがあります。
そう。それは正しいと思う。
じゃあ、具体的にどういうこと?ボイストレーナーなら説明できるよね?
説明できないってことは、指導力不足なのでは?
>美学的に良いことと、機能面で良いことを分けて考えること。
あれ?これって…
ボイトレマンだ。
ただ、この文脈だと
美学的に良いこと→声を枯らす
機能面で良いこと→求める声を出す(長い時間声を出せるようにする)
になるので、完全に不可分かというと、そうでもなさそう。
いや、そういうことじゃなくて、そもそも目的外か。ポップス歌うのにオペラの声を出そうとするのと同じぐらい目的外か。(Dr.Hはこれを矛盾と呼んだ)
求める声があって、それを出したいのに、どうして声を枯らすの?声を枯らして深みや味のある声になったけど、これを出したいわけじゃないのに?
ま、ボイストレーナーの言葉ですから、簡単に表現すると指導力不足なんですけどね。
とりあえず、目的外だということなので、分けて考えることができる。ということですね。
これがもし向かう方向が同じだとしたら、不可分ですよ。
機能面で良い方法なんだけど、美学的なところも一緒についてくるから…悩むわけですよ。
今回の話の場合、声を出せる時間関係なく、最初から声に深みや味をつけたいと思っている場合ですね。
でも、声を枯らして深みや味がついたとしても、その声が出る時間が短くなった。とかいう機能面がいらないと思ってももれなくついてくる。不可分ですね。
でも、目的が声を枯らして得られるものとは違う場合は?最初から目的外ですから、これは分けて考えることができますね。目的外だし、そもそも機能面でも不利。ただ美学的に良いだけなのでパス。ってね。
>トレーナーは人様の声に口を出すことの責任を深く考える必要があると、強く思います。
ま、簡単に書くと、しっかりとした指導力をつけろ。ってことなんですけどね。
「つもり」で終わるような嘘教えることなんてないように。ってね。