3年前の記事の複製です。酔っぱらって歌を聴いていると、こんな記事を思い出してしまいました。娘たちよ、幸せになってくれよ~~~、それだけです。

 

**********************************(2020年9月21日掲載)

 

最初に、『桐箪笥のうた』の記事を書いたのは、2017年9月。今から3年前のことでした。 何度もリブログで「オイオイ、いい加減にしてくれよ~」、ってお叱りは、しっかり受け止めます。でも、この歌を思い出してしまう出来事があるのです。

今度の日曜日に一番下の娘が引越して、わが家を出て行きます。

彼氏との同棲のため。

 

実はわたし自身も、最初の結婚のときも、2度目の結婚のときも、まず「早くいっしょに住もう」と、同棲からスタートしています。

こんな親なので、娘に「同棲なんてケシカラン」とは絶対に言えません(笑)。

片付けが苦手な娘(養女)なので、恋人同士のつきあいから日々の家事をこなさなければいけない「生活」に変わった時に、はたしてやっていけるのかどうかという心配はあります。

 

でも、「パパみたいに、なんでもできる彼だから大丈夫、料理もすごく得意だし、でも、ほんと、わたしのほうが頑張らないとって思ってるから」と。

 

もう毎朝の娘のためのゆで卵むきは、必要なくなるのか…

初詣に、「ねぇ、手冷たい、パパ!」と、娘と手をつないで温める必要もなくなるのか…オムライス食べたい!唐揚げがいい!ハンバーグ作って!というリクエストにこたえる必要もなくなるのか…

 

 

なんだかなぁ~、でも、それだけ娘が大人になってくれた、成長してくれたってことなんだよな。自分に言い聞かせるしかないわたしです。

 

さて、記事は3年前の出来事なので、現在とは異なる部分もあります。

今、長女は介護の仕事もしていないし、住んでいるのは栃木ではなく、川口市です。

 

今でも、涙なしには絶対に聴けない歌です。

 

**********************************(以下、過去記事)

 

思い出したのは長女のこと。

お世辞にも出来のいい娘ではありませんでした。

学校の成績はいまひとつだし、だからといって体育系が得意かというとそんなこともなく。中学時代は、不登校が続き悩んだことも。

 

でも、やさしさと思いやりにあふれた性格は、親のわたしにとっても自慢できる点でした。最初の妻との離婚のときに「これからパパとママは別々の家で暮らすことになるけど、おまえはどうする、どっちといっしょに暮らしたい?」と聞くと長女は、「パパといっしょでないとゼッタイにムリ!」と即答してくれました。父子家庭でがんばる決意ができた瞬間です。

 

そういえば、幼いころは極端なパパっ子。それは次女もまったく同じでしたが、一度抱っこしてから、引き離そうとすると大泣きしたし、幼稚園の送迎車の迎えに行くと、車からおりると真っ先に「パパぁ~~」と飛びついてくれたものです。

 

そんな長女も高校を卒業し、介護の仕事につくことになり、思っていた以上に仕事を頑張り、今でも介護の仕事を続けています。なんでもかんでも「パパどうしよう」と言っていた長女が、自分で仕事を選び、運転免許も自分でとって、車も自分で購入して、「いろんな点でパパに似ている」という誠実な彼氏を見つけて、正式に入籍して、今では栃木の新居で暮らしています。大げさな結婚式は行わず、親戚を集めるお披露目会をふたりが計画してくれました。その成長ぶりが、親としてはうれしくて仕方ありません。

 

その栃木へ行く日の朝。

 

車は真っ赤なパッソですが、かなりたくさんの荷物を積まなければなりませんでした。「こんなにたくさん入る?」と長女。

「大丈夫、パパは物流が仕事なんだから、荷物を積むのは任せとけ!」

小さな隙間も利用しながら、ルームミラーの視界も確保して、すべての荷物を積み込みました。長女は玄関のほうで再婚した妻に向かって「これまでお世話になりました、あっちでもがんばります」とあいさつしていました。

そして、「お世話になりました、また夏には帰るから」とわたしに。

 

小学生のころから、行ってらっしゃいのときには、お互いに手をハイタッチするのが娘たちとの習慣でした。その日の朝も長女とハイタッチ。何度も何度もくりかえし。お互いに別れを意識していたのでしょうか、いつもの何倍もの回数を。

「運転には気をつけるんだぞ」

「大丈夫、気をつける」

「じゃ、また」

「うん」

長女は車に乗り込み、走り去っていきました。

わたしは笑顔で送り出しました。

 

しかし、長女の赤い車が角を曲がって見えなくなると、自分でもわからない不思議な感情が湧き上がってきたのです。この哀しさ、さみしさはいったいなんなんだ?

そう思った瞬間、不意に涙があふれてきたのです。自分でも意外すぎる「現象」でした。そして号泣。

 

妻が心配してくれます。

そのまま家に入り、シャワーを浴びながら、また号泣。

こんなに泣いたのは、小学生のころ大切にしていた犬が死んだとき以来かもしれません。そういえば、わたしも娘を思うふつうの父親だったんだなぁ、と妙に納得した朝の出来事でした。

 

妻の「今日も仕事なんだから、しっかりしてよ」の一言のおかげで、気持ちを引き締めて会社に向かった朝でした。

 

とはいえ、実を言うと、今でも長女の「パパどうしよう」は続いています(笑)。

そんなことは、旦那さんに聞いたほうが早いだろビックリマークとツッコミを入れたくなるようなことでも、LINEでわたしに聞いてきます。それは、うれしいのですが、どうなんだろうなぁ~と複雑です。 

 

***************************************

 

Amazonで電子書籍を出版しました。

『転職したのは芸能界/還暦男のエキストラ奮闘記』←リンクあります!

 

 

 メルカリで、いろいろな写真を販売中 右矢印 夏夫’s Photo

 

    Instagramは、こちら 右矢印 @fumipapa0729

 

 ストックフォトのご購入は、PIXTAまで 右矢印 写真素材 PIXTA