自宅近くの小さな物流センターで働いていたわたしは、上司に誘われ新設の大きなセンター(上の写真です)に移籍することになりました。

最初のころの通勤は自転車だったので、自宅から40分はかかる距離で、まだ30歳前後だったから通勤できたようなもので、今なら絶対に無理です(笑)

 

最初はアルバイトとして入社しましたが、3年後くらいだったか正社員として採用してもらえました。そうなると車通勤の許可も出たのですが、大渋滞で有名な荒川大橋を渡る必要があり、それはそれでかなりの苦労でした。

 

新しいセンターに移って1か月ほどでアルバイトなのに、なぜかひとつの作業ラインの責任者に抜擢されました。それまではただ黙々と働いている、どちらかといえば寡黙で引込み思案で優柔不断な若者でした。ところが、仕事で責任ある立場に立たされるとわたしの中で何かが変わり始めたのです。どうせ任されたのなら、自分が思う通りにやってみよう、周りを動かしてみようじゃないかという思いが強くなっていきました。仕事を通して人間って変われるものなんですね。

 

朝礼のような場で人前でしゃべれるようになり、大声で指示を出せるようになり、次から次に起こる問題に即断即決で判断できるようになり、チームを動かすには誰にどんな指示を出せばいいのか頭の中で組み立てることができるようになったのです。

それまでの自分とは、まさしく180°急転回した自分が出来上がっていきました。

 

特に人前でしゃべるなんてありえなかったわたしでしたが、その後転職した会社でも「朝礼の話がわかりやすくて聞きやすいし、さすがですね!」と驚かれましたっけ。

なるべく目立たないように、ひっそり仕事をするのが好きだった自分はいったいどこに消えたのか、という感じでした。人を動かす楽しさ、判断、決断をする喜び、仕事の段取りを自分で作る感動を知ってしまったのかもしれません。

 

そういえば、それまで人の目を気にしたり、パニック障害気味になったり、妙に落ち込んだりという精神状態も一気に消えてしまったような気がします。要するにかなり図太くなってしまいました(笑)。他人の評価、視線なんて右から左に蹴とばして、「ま、いっか!」で悩み事なんてポイポイ捨ててしまいます。

 

中学の同窓会に行ったときも、わたしの様子を見た同級生が、「あのころとガラッと変わったのは、マッチャン(わたしの愛称でした)だよな、いい歳のとりかたしてると思うよ」と言われたこともありました。中学時代は、わたしの趣味が多かったせいか、いつもわが家に友達はたくさん集まっていましたが、通信簿の評価欄には「積極性がない、引込み思案」という言葉がズラッと並んでいました。

 

というわけで、わたしを180°変えてくれた職場が、東京都北区浮間の物流センターでした。ラインの流れ作業で0.1秒単位で動かなければならないような作業もあって、そんな現場で「神様」と呼ばれ調子に乗って腰を傷めてしまったのですから自業自得というものですが。

 

人間というのは不思議なもので、0.1秒単位のすごい勢いで体を動かして作業しているのに、頭の中は空白というか、まったく別の思考を繰り広げることができるようになるのです。体を超スピードで動かすための思考とは別に、静かな海のように広がる思考空間が隣り合わせで存在しているのです。 そこは本当に静かな世界です。

これは経験した人しか理解できない世界かもしれませんが、たとえば、両手両足を全力で振り回して仕事をしているのに、頭の中では、今夜の夕飯には酢豚が食べたいなぁ、そういえば、きのうは餃子だったよな、中華続きっていうのもなんだから、今日は和食にしようか、とか極めて冷静に思考しているのです。けっこう複雑な計算でも、ごく当たり前のように冷静に暗算で計算できます。

 

よくアニメの決闘シーンで戦うふたりが最も緊迫した場面で、スローモーションのような動きになっているシーンがありますが、あの感覚が理解できます。

 

わたしがラインの責任者になって、変えてみたいこと、改善したいことはたくさんありました。たとえば朝、作業を始める前にそれぞれの持ち場にアルバイトを割り振るのですが、その時間がもったいないと感じていました。30人近い人数を割り振るだけでもけっこう時間を使います。そこで、翌日の出勤予定を前日中に各自で名簿に記入してもらうようにしました。その名簿を元に現場の配置表を朝までに掲示しておけば、朝礼が終われば各自が自分たちで持ち場に入ったもらえるので、すぐに作業をスタートさせることができました。

 

こんなアイデアや改善をわたしはたくさん提案して、社内で3か月に1度の改善提案コンテストがあって、そこで何度も「猛打賞」という提案数が多い社員がもらえる賞で表彰状をもらっていました。中にはあまりにも前衛的というか実現しないだろうなという「作業現場にレモンの香りを流して作業効率を上げる」という提案もありました。これは実際に研究結果として効果があると公表されているものでしたが、もちろんそんなことは実現しませんでした。でも、会社の上層部で興味を持った人がいて、いろいろと聞かれたこともありました。

 

あと、今ではセクハラだとつるし上げられそうなアイデアですが、段ボールにヌード写真を貼り付けて、その上から紙を覆って「仕事中眠くなった男性だけ中を見てちょ!」と書いて、作業用の板に置いて流したこともありました。「あれ、効果ありますよ」と言われましたっけ、男なんて単純ですから(笑)。そのヌード段ボールの前後には、空の板を挟んで流して小休止時間にするというアイデアも取り入れました。

 

ほかにも好評だったのが、読めば作業ルールがわかるという小説です。あのころ『東京ラブストーリー』が人気だったので、恋愛小説の形で恋するふたりが仕事をする場面で作業ルールを挟み込むという小説にしました。連載形式で現場の柱に貼り出していました。まともな小説なんて書いたこともなかったのに、なぜか書けました。以前の記事にも書きましたが、やはり文章を書く能力って先天的なものだと思うのです。

そういえば、現場の柱にいろいろな情報を掲示するというのも、わたしが始めた活動で、アルバイト同士の情報共有に役立ちました。

 

そんな小説に「早く次を書いてください!」と大ファンになってくれたのが、岡村孝子似の高校生Sさんでした。実はあの当時、のちに奥さんとなったKさんとはまだ付き合っていませんでした。わたしのほうは、Kさんの友だちのMさんのほうが気になっていて、高校生のSさんの好意はわかっても恋愛対象ではありませんでした。なにしろ、わたし33歳、Sさんは17才なので付き合ったら犯罪になるような年齢差です。

 

しかし、やがてKさんとつきあうようになり、そのあたりのあれこれはまたのちほど書きます。が、それを知ったSさんは、「あたしのほうが先にNさん(わたし)を好きになったのに、なんで、どうして」と泣かれてしまいました。

 

Sさんはわたしが川口に住んでいると知って、川口駅の改札でたぶんわたしが帰るであろう時間に1か月くらいずっと待っていたと聞いたこともありました。しかし通勤は自転車か車だったので、電車を利用することはありませんでした。

それを聞いて素っ気ないふりで無視するのもかわいそうになり、電話番号を教えて電話で話す時間を作ったり、仕事が終わってから公園のベンチでしばらく話していたこともありました。若い日々の思い出になってくれたらという気持ちもあって。

 

ところが、ベンチで話をしていてSさんが爆笑すると次の瞬間全身の力が抜けたようになり、わたしにもたれかかってきました。いきなり意識を失った様子を見て驚きはしましたが、医学的な知識もあったわたしは、これってもしかして情動性脱力発作?と感じました。彼女の長い髪からはシャンプーの香りなのかいい匂いがして、体からは女子高生特有の生臭さのような匂いが漂ってきました。

 

しばらく彼女を抱きとめていましたが、1,2分で彼女は意識を取り戻しました。今の様子を話すと、「実はあたし、ナルコレプシーという病気を持っているの」と告白してくれました。

 

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