5年以上前ですが、ブログで連載したことがある小説の再掲載です。
以前掲載したときの2話分ずつをまとめて掲載してみます。
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4月半ば。昼下がりの明るい都内の病室。今年58歳になる竹内敏雄は妻早苗の手を握りしめていた。意識がない妻の呼吸は浅いが静かだった。
「呼んでおきたい親戚の方がいたら連絡してください」と担当医に言われ、敏雄は今朝からずっと妻の病室で付き添っていた。親戚といっても、遠方の親戚ばかりなので、敏雄はあえて連絡はしなかった。
こうして妻の手を握りしめていると、思い出すことがある。この手で妻はいつも台所をきれいに保ち続けていた。古くなったフェイスタオルを切って縫い合わせて、台所をきれいにするための台布巾を自分で作っていたのだ。
力を込めて、台所の調理台を拭く6歳年下の妻の手が、敏雄の目の前に浮かんでいた。
「台所はいつもきれいにしておかないとね」が、妻の口癖だった。
妻の手料理は、すばらしいものだったが、敏雄は料理が苦手で、自分で作ることはなかった。しかし、洗い物の手伝いは時々やっていた。
そんなときに見た、妻が台所をきれいにする姿。あの力強かった手が今は、か弱く動くこともなく…
敏雄はまるで妻をこの世に引き留めておくのが目的であるかのように、妻の手をぎゅっとしっかりと握りしめていた。
いきなり早苗につながっているモニターの警報音が鳴った。不安定に揺れていた心電計の波形が、その瞬間水平な一本の直線になっていた。でも、モニターにはときおりフワッと小さな波形が立ち上がっている。微かな命の息吹を拾い上げているかのように。
敏雄は妻の手を片手で握りしめたまま、片手でナースコールを必死で押していた。「今、呼ぶから、大丈夫だ、大丈夫だ」敏雄は自分に言い聞かせるように、早苗に声をかけた。
最初に来たのは看護師。そのとき妻は、ひとつ大きく深呼吸をするように息をした。錯覚かもしれないが、唇が微かに動いたように見えた。何か言いたげな様子にも見えたが、それは気のせいだったのだろうか。
モニターは、依然として動きはなく、すべてが静かになってしまっていた。担当医がその後来てくれたが、それは「ご臨終です」という宣告をするためだけのものだった。
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関係ない話ですが、「ひろし」と「ゆかり」がいました(笑)
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