アメブロの前に書いていたブログでは同時進行で、ふたつのブログを書いていたことがありました。エキストラの記録がどっかに残っていないかと思って探していたら、なつかしい記事を見つけました。今から17年ほど前のポタリング記録ですが、転載してみます。

 

ちょうど元奥さんと別居して、離婚が問題になっていた時期。

写真は当時のガラケーで写したものなので、かなり不鮮明ですが。

2006年4月のブログ記事です。

 

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今日は天気がいい。

いいといっても、澄み渡る青空というほどではなく、ところどころに灰色の雲が張りついた空。暑くもなく、寒くもなく、そして自分にとって、好都合なのは、そろそろ花粉も少なくなっているということ。

午後は外に出てみた。以前は、よくサイクリングに行ったものだ。埼玉県から横浜までとかもあった。それは、ただ単に中華街にチャーシューを買いに行きたかったから。片道50kmほどの道のり。無茶をしていたものだ。

今日も通勤用のチャリンコでミニサイクリング。午後からだから、あまり遠くには行けないので、近場散策へ。

さて、川口市本町一丁目の本一商店街をときどき通過するけど、気になるお店はあっても、なかなか立ち寄るチャンスはないもの。今日はそんな1軒をたずねてみた。

なんの飾り気もない、ごくありきたりの商店街だが、戦前からの古い建物もあって、なかなかの風情を持ち合わせている。
そういえば、この通りには、以前は古い酒屋があって、あの建物も好きだったんだけど、今は取り壊されてしまっている。残念。

ちょいとわき道をのぞくと、なにかお惣菜を作っている匂いがただよう路地を楽しむこともできる。なるべく、ゆっくり歩くのがいい。

気になっていた店は『吾妻屋』さん。「焼きたてパン」のポスターと「コッペパン製造」の文字がなんともいい。店構えも素朴としかいいようがないが、それがまた落ち着きある雰囲気でいい。

 



店に入ると誰もいない。「すみません!」と声をかけると、ハイ、とも、オイとも区別がつかない返答が聞こえた。白い作業服の70代だろうか、そんな背格好のおじさんがゆっくりと出てきた。

 



「え~とね、このメンチカツ(¥170)とコンビーフパン(¥120)、ちょうだい」
「はい、290円だよ」

もちろん、私が生まれる以前から営みを続けているお店。
お話をうかがってみた。


「おじさん、このお店かなり古くからあるみたいだけど、いつごろから?」

「そうねぇ、明治の終わり頃からなんだけど、でもね、最初の頃は和菓子屋として始めて、終戦後くらいからパン屋になったんです」
「へぇ~そうなんですか、かなりの歴史なんですね」
「そうですねぇ、今で五代目ですからねぇ」

「コッペパンもなつかしいですねぇ、私はピーナッツバターをはさんでもらうのが好きだったんですよ。このメンチカツとかカレーパンとか10年前と値段、変わってないんじゃないですか?」
「そうです、ウチは外からパンを仕入れるってことは一切してなくて、売ってるパンは全部、自家製なんだよ」なるほど、やはりこちらのお店もきちんとした仕事をしているお店なんだなぁと感じた。

そういえば、「きちんと」という言葉は、日本の底力を表す言葉の一つではないかと思っている。昨今、「もったいない」が世界を席巻したが、これからは「きちんとした」、「きちんとする」という日本語が世界を駆け巡ってもいいのではないかと思う。「きちんと」精神は、日本の底力の原点ではないだろうか。

海外の人々が、日本の公共交通機関の時間の正確さに驚嘆し、列に並んで整然と乗車する日本人に感激したりするが、その根底には「きちんと」精神があったからなのではないかと感じている。

長く続くお店の多くも「きちんとした仕事」をしている店が多いのでないだろうか。そんな店には、店構えが小ぎれいな店も多いが、「キタナシュラン」に選ばれそうな怪しげな店でも、「きちんとした仕事」をしている店はたくさんある。
要は店主自身に「きちんと仕事をする」気概があるかどうか。


「あ、忘れてた、コッペパンも」
「なにはさむ?」
「じゃあ、やっぱりピーナッツバターがいいかな」
「はいよ」

 



店主は、話すときもあまり表情は変えない。寡黙なのだろう。おじさんは、店頭にあったコッペパンを店の奥へ持っていく。

やがて、「はい、170円」ともどってきた。お金を払い、じゃあ、どうも、と挨拶して、店をあとにした。スーパーで商品を買うのとは違って、あれちょうだい、これもね、と話しながらの買物には、どこか満たされるものがある。

 

「また寄らせてもらいます」と言葉をかけると、「ありがとうございました」と店主は、深々と頭をさげてくれた。

その後は、荒川の土手下のサイクリングロードを走った。右手に広々としたゴルフ場が広がる。左手はなだらかな緑の土手。きれいに舗装されたサイクリングロードは、走りやすい。

ジョギングに汗を流す人たちが数人。小学低学年の娘二人と遊ぶお父さん。 中学生のカップルだろうか、土手の真ん中あたりに並んで座って、二人とも恥ずかしげな笑顔がういういしい。

土手に寝転がって、コッペパンを食べる。たっぷりのピーナッツバターがうまい。それに、メンチカツパンもサクサクの食感がいい。

パンの味そのものは、都内の有名店で売っている名の知れたパンのほうが、もちろんうまいかもしれない。グルメをうならせる類いのパンではないだろう。
ごく普通の手作りパン。
でも、ときどき食べたくなってしまうパンと説明すればいいのだろうか。
私にとって心の奥底の味覚を満たしてくれる安息のパン。

そして、しばし、もの思いの時間。

妻と娘たちとの今後のことも。

さらに、5分ほど走ると、足立区の都市農業公園に到着。以前にもブログで紹介したことがある公園。公園内のレストラン前には、外にテーブルがたくさん並んでいて、夏場はビアガーデンになっている。今日もそこには、多くの家族連れやお年寄りの仲間同士、サイクリング途中の7,8人の集団などが集まって、談笑している。

 



さて、ここでまた休憩にする。といえば、やはり生ビール。休日らしい休日を作る必須アイテムかも。公園内には、今、たくさんの花が咲いていて、目の保養、心の保養になってくれている。(注!:当時は自転車で飲酒は規制されていませんでした)


帰りはまた、先ほどの本一商店街を抜けていった。

すると、とある店先につながれている猫を見つけた。

 



店頭にいた年配の女性にわたしは、「写真、撮ってもいいですか?」と聞くと、「どうぞ、どうぞ、よくみなさん、そうおっしゃるんですよ」と話してくれた。
「何歳くらいですか?このふたり」と、聞いてみた。
「ちょうど5歳です。でも、この二人の前に飼っていた猫は23年も生きました」
「へえ、そうなんですか、それは偶然ですね、ウチの猫も23年生きて、もう5年前には亡くなりましたけど」
「よく、見ているんですよ、この猫たちは、あたしたちのことを」
「あ、そうですよね、猫は家に付くとかいうけど、猫はいつも人のことをじっと見てますよね」
「そうです、お風呂もいっしょに入ろうとするし、お手洗いにもいっしょに入れないと扉を開けようとするし」
「やっぱりそうですか、それもウチとまったく一緒です(笑)」
「あら、そうですか、やはりそうなんですね」

 



猫の写真を何枚か見せてもらいながら、猫好き同士で、話がはずむ。

こんな会話も今は楽しい。

今日は、ほんの小さな一人旅だった。

今の自分のさみしさを実感しながらも、見知らぬ人となんでもない会話をすることの楽しさに満たされた。息づかいがわかる距離が、やっぱり大切なんだと、あらためて思う。自分は、さみしがりやなんだろうか、たぶんね。

 

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この記事に出てきたお店は、いずれも現在は閉店しています。

 

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