昨日、お稽古に行ったら妹弟子が「近江のお兼」のさらしのお稽古をしてました。
私も4年前、お稽古して、舞台にあげてもらった「近江のお兼」。
見所はやっぱり「さらし」!!
さらしって振るの難しいです。よく言うのは
「地にさらしをつけちゃいけない」
正直、こんなのは序の口です。
さらしが地につくようなら舞台に上がらないほうが身の為。
私もそう思います。そして、うちの先生は
作品の背景やら、アシンメトリーさ、スピードetc
要求はすさまじいです。
しかし、すべてできなくても根本をおさえておくだけでも結構違うんでしょうね。
たとえば「近江のお兼」の水の流れが如く、波うつのびのびとした優雅さ。
それに対して「越後獅子」の隙のない、道行く人の足を止める程、職業として誇り。
これを踏まえたら絶対、2つのさらしは似て非なるもの。
実際、2つとも表現は簡単だけれども体現するのはとっても難しい。
私はまだ越後獅子には手が届かないと思います↓↓
人がお稽古してると一緒にお稽古したくなるのが私の性分で、
いつになるかわからない「近江のお兼」再来に向けて私もさらしについて
考え始めてしまいました↑↑
しかし、今回、久々にさらし振ってる姿を見て、
「当人が思う以上にさらしは美しく振れている」
ことを発見。妹よ、あとは自信をもって、稽古あるのみ!!そう思いました。
私も4年前、お稽古して、舞台にあげてもらった「近江のお兼」。
見所はやっぱり「さらし」!!
さらしって振るの難しいです。よく言うのは
「地にさらしをつけちゃいけない」
正直、こんなのは序の口です。
さらしが地につくようなら舞台に上がらないほうが身の為。
私もそう思います。そして、うちの先生は
作品の背景やら、アシンメトリーさ、スピードetc
要求はすさまじいです。
しかし、すべてできなくても根本をおさえておくだけでも結構違うんでしょうね。
たとえば「近江のお兼」の水の流れが如く、波うつのびのびとした優雅さ。
それに対して「越後獅子」の隙のない、道行く人の足を止める程、職業として誇り。
これを踏まえたら絶対、2つのさらしは似て非なるもの。
実際、2つとも表現は簡単だけれども体現するのはとっても難しい。
私はまだ越後獅子には手が届かないと思います↓↓
人がお稽古してると一緒にお稽古したくなるのが私の性分で、
いつになるかわからない「近江のお兼」再来に向けて私もさらしについて
考え始めてしまいました↑↑
しかし、今回、久々にさらし振ってる姿を見て、
「当人が思う以上にさらしは美しく振れている」
ことを発見。妹よ、あとは自信をもって、稽古あるのみ!!そう思いました。