どうしてもあまり得意にはなれないものの一つ。

数学は昔から苦手だし、算数の頃から好きになる努力もしたような気もするけど、どうも自分にははまらなくって。

最近の中でも、とんだ数字だなと思ったのは、幸福度指数みたいなもの。

信じてる人には悪い気もするけど、私はなんかナンセンスな気がしてしょうがなくって。

どうして個人の軸でしか決まらないはずの幸福を数値化する必要があるんだろう。

きっと先進国が新興国の人たちの幸福度を測り、差を見て、援助をするキッカケを作ったり、はたまた、案外先進国の人は物では満たされているけど心は空虚なもんだ、とか言ってみたり。

こういうのは、結局のところ"恵まれた国"のエゴな気がしてしまって、なんか腑に落ちない。

それでも何もしないよりは、幸福度指数を測って数値化して何かを見出した気になって、アクションを起こす方がよっぽど良いのかもしれないんだけど。

ただ、幸せを数値化して他人から見える形にすることにそんなに大きな意味があるのかなって。

他力本願で得られるものでもないし、他人の評価で決まるものでもないし、

そういう意味で数字が空虚に見せるモノって、沢山ある気がする。
悪い意味は全くないのだけど、

たまにふっと、
何もしたくなくなるというか、
家族も友達も知り合いもいないとどんな感じなんだろうとか、
このまま見知らぬ土地に行ったらどうなるのとか、
もし全然違う生き方をしたらとか、

不思議だけど寂しい気持ちにはならなくて、なんとなく興味があって、ふと考えたりする。

もしかしたら、この先、こうやって予想も付かない感じになってたりするのかも。

そう思うと、踏み外すぐらいが丁度いいような気もしてくる。
事象を結果論で語ろうとすれば、
何だか空虚になる。

具体を帯びない"良い話は"、
正論だけど綺麗事になる。
根暗には、根暗各々の定義がある。
これは往々にして個人によってかなり幅がある。根暗じゃない人は、大半の根暗が自分と似たタイプの根暗に出会うのは至難の技であることを知らないだろう。


以下は、私の考えるネクライズム。
(あ、なんか、オクラみたい)


まず、「根暗=ネガティブ」だと考えている人は間違いなく根暗未経験者。

そんな式は成り立たない。

「根暗=インドア」も同様に、不成立。


そして、基本的には自ら「根暗です」なんてことは言わない。言ったら、ダサいと思ってる。言ったら、根暗の価値が下がると思ってる。言ったら、終わりだと思ってる。

例外は、それとなし心を許せそうな人から「あなた根暗でしょ?」と聞かれた時。「そうです、根暗です」と即答する。これは、あなたも仲間ですか?私の根暗さに気づきましたか?という喜びの合図。


中には、根暗かつネガティブな奴がいるけれど、それは根暗を冒涜してるなと思うことすらある。

内側が根暗で、外側がネガティブ、それは他人に如何ほどの迷惑をかけることか。

太宰治なんか、心中しようとして女だけが死ぬというパターンをやってのけてるワケ。

愛読しているけれど、そんなアウトプットは太宰だけで十分。









ああ、やっぱり言葉は無形物で、言葉と意味とは分離してるものかな。辞書には載らない、使う人によって異なる定義。イチイチそれを口にするのは面倒なんだけど、これがズレると会話にならないし。だから今日は私の根暗定義をご紹介。
今隣にいる友達がそう言っていたので、今日はこの友達の主張について書きます。


「相談はポップカルチャー。」
※余程の深刻な場合と、余程の経験者に教えを乞う場合を除く。


つまり、軽々しく何についても他人に相談する奴はポップな奴だ、という主張。偏見。だそうで。


学食で友達に話せる事柄なんて悩みじゃない、らしいんです。


ここでいう相談ってのは、
「私は右と左、どちらに行くべきかな?ねぇ、どう思う?」とか何とか、そういう類のやつ。


確かに、私も誰かに「相談」をする時は8割型で答えは決まってる事が多い。(既に進行方向は決めているが、最後の一押しが欲しかったり、もう一度考え直すために真逆の意見を聞きたかったりするので、相談する。)

友達曰く、最後の決断は自分でするんだから人に聞いたってどうしようもない、とのこと。


一理ある、どころか、これは結構分かる。


でも、ポップなのかロックなのかってのはさて置き。

私がこの話の中で改めて感じたのは「相談」と「愚痴」の違いはとにかく曖昧になりやすいってこと。


「相談」ってものは、相手に意見を求める以上、柔軟に聞き入れ、参考にし、時には相手の解決策を採用する必要がある。

一方で「愚痴」ってもんは、ただただ自分の状況や心情をつらつら並べて聞いてもらうこと。相手からの共感を得ることがMAX。


この二つは、大っきく違うんだけど、話し手も聞き手も取り違えやすい。


例えば、
彼女は愚痴のつもりで彼氏に徒然なるままに日々の事を話すんだけど、彼氏は相談だと勘違いして解決策を提示するばかりで彼女の気持ちには気づいてあげられなくなったりする。


異なるけど混同しやすい、この二つは厄介者。


だから、違いを弁えた上で、これから話す事が「相談」なのか「愚痴」なのかってのを、先手をうって相手に教えてあげると、これは親切になるんじゃないかなと思う。


まあそんなこと言葉にせずとも分かり合える間柄がいいに決まってるんだけど!


私の友達にとっての「相談」は、「愚痴」よりももっとヘビーだし、悩みは自分でしか解決出来ないって考えてるから、「相談なんかポップカルチャーだよー」って言えるみたい。


それはそれでオモロイ考え。