どうしてもあまり得意にはなれないものの一つ。
数学は昔から苦手だし、算数の頃から好きになる努力もしたような気もするけど、どうも自分にははまらなくって。
最近の中でも、とんだ数字だなと思ったのは、幸福度指数みたいなもの。
信じてる人には悪い気もするけど、私はなんかナンセンスな気がしてしょうがなくって。
どうして個人の軸でしか決まらないはずの幸福を数値化する必要があるんだろう。
きっと先進国が新興国の人たちの幸福度を測り、差を見て、援助をするキッカケを作ったり、はたまた、案外先進国の人は物では満たされているけど心は空虚なもんだ、とか言ってみたり。
こういうのは、結局のところ"恵まれた国"のエゴな気がしてしまって、なんか腑に落ちない。
それでも何もしないよりは、幸福度指数を測って数値化して何かを見出した気になって、アクションを起こす方がよっぽど良いのかもしれないんだけど。
ただ、幸せを数値化して他人から見える形にすることにそんなに大きな意味があるのかなって。
他力本願で得られるものでもないし、他人の評価で決まるものでもないし、
そういう意味で数字が空虚に見せるモノって、沢山ある気がする。
数学は昔から苦手だし、算数の頃から好きになる努力もしたような気もするけど、どうも自分にははまらなくって。
最近の中でも、とんだ数字だなと思ったのは、幸福度指数みたいなもの。
信じてる人には悪い気もするけど、私はなんかナンセンスな気がしてしょうがなくって。
どうして個人の軸でしか決まらないはずの幸福を数値化する必要があるんだろう。
きっと先進国が新興国の人たちの幸福度を測り、差を見て、援助をするキッカケを作ったり、はたまた、案外先進国の人は物では満たされているけど心は空虚なもんだ、とか言ってみたり。
こういうのは、結局のところ"恵まれた国"のエゴな気がしてしまって、なんか腑に落ちない。
それでも何もしないよりは、幸福度指数を測って数値化して何かを見出した気になって、アクションを起こす方がよっぽど良いのかもしれないんだけど。
ただ、幸せを数値化して他人から見える形にすることにそんなに大きな意味があるのかなって。
他力本願で得られるものでもないし、他人の評価で決まるものでもないし、
そういう意味で数字が空虚に見せるモノって、沢山ある気がする。