学生の頃「付き合うって何?」

って思っていた私。

 

「好き」なんて

思い込みと勘違いでしかないと思っていた私。

 

 

ここ最近の恋活で改めて

「人を好きになること」

を体験して、その過程を楽しんだりしています。

 

理屈じゃなくて、感情的に「好き」

っていう思い。

「この人を大切にしたい」

という思い。

 

それもやっぱり熱が冷めると

「思い込みだったわ」

って終了するんだけれど。

 

色んな人と出会う中で、感覚的に惹かれる人がいる。

理由を探そうとすると

外見的なことだったり、少し話してみた印象だったり。

 

でも、本当のその人のことは分かっていないというか。

 

もっとじっくり話してみて、ともに時間を過ごしてみてその人の価値観とかに触れてみないと

パートナーとして私が求める相手なのかは分からないな、って思います。

 

「恋愛と結婚は違う」

なんていうことをよく聞きますが

イケメンだから好き、走るのが速いから好き、って言ってるのが恋愛なのかな?

 

イケメンだったら家族を大切にしてくれるのか?

パートナーとして尊敬しあって、色んなことを共有できるのか?

ともに喜び、ともに悩んでくれるのか?

 

そんなの全く関係ないんですよね。

 

ともに歩むパートナーとして自分が何を求めるのか。

もし次の結婚があるのなら(結婚しないにしても、今の私にはもう「恋愛」は必要ないので)その価値観を共有できる相手と関係を築いていきたいなぁ、と思う今日この頃です。

 

自分がどうやって生きていきたいのか

その時どんなパートナーに隣にいて欲しいのか。

 

そんなことを今さらながら考えています。

 

サウンド・オブ・ミュージックのマリア先生のように、子どもたちに囲まれて

歌をうたいながら暮らしていきたい、と。

学校の先生になる勉強をしていたうん十年前から、漠然と憧れを持っていました。

 

学校の先生になる道は選ばなかったけれど。

「子ども」というのは私の人生の中の大きなキーワードであることは

間違いありません。

 

子どもと女性のための福祉の仕事をしたい、という思いも、職業選択の理由の一つでした。

 

今は我が子を守ることに精一杯ですが。

もしもこの先、子連れの方とパートナーシップを築くことになるとすれば

それは私の人生にとって大きな意味があることのように思います。

 

きっと大変なことでしょうが。

マリア先生のように困難にくじけず、歌をうたいながら過ごしていきたいな。

 

女の子育てたいな、という思いはずっとあって。

お腹を痛めずして女の子のママになれるなんて幸せじゃない?

というわけで、昨年の夏頃マッチングアプリをはじめました。

 

びっくりしたのは

「出会いを求めている人がこんなにもいるんだ!」

ということ。

 

警戒しながらもメッセージのやりとりをして。

実際に会ってみたりもして。

 

付き合ってみたり、あっという間にフラれてみたり。

(個別の出会いと別れについてはまた別の機会にお話しさせてください。)

 

アプリでの出会いで難しいなぁと思うのが、相手のことをよく知らないのに

「付き合うかどうか」

みたいな前提での出会いであるということ。

 

学校とか職場での出会いなら、その人がどんな人なのか

例えば、他人への言動とか、忙しい時どうなるとか、気遣いができるのかとか...目にする機会があるけれど、そういうのが全然ない中で、知り合っていくんですよね。

 

アプリに登録されている情報なんて身長、年収、趣味とかすごく表面的なことでしかないけれど、入口はそれでどんな人か想像して判断するしかない。

 

「判断」というのがまさに「○」「×」ってジャッジする感じで。

夜な夜なアプリに表示される写真を見ながら「○」「×」してるのは「オトコ漁り」という表現がしっくりくる感じで。

 

そんなことを続けながら、やめていた時期もはさみつつ、もう9か月とかになるのか...

 

最近では

「出会いを楽しもう!」

と思うようになっています。