別にノンポリを気取りたいわけではないが、なにかとつけてやたらと白黒ハッキリしたがる人がある時期から苦手になった。


昔は俺も白黒ハッキリ楽天パンダだったが、そういう偏った己の言動によって、自分の意図せぬところで人を傷つけたり悩ませたりしていたことを、歳をとった自分が過去に誰かにつけたであろう傷と同じ傷を負った時に「俺はこんなことをしていたんだな」としっかり目に喰らったからである。


もちろん俺にも意見や思想はある、しかも多分わりかし強めの。

その上で良いものは良いし、クソなものはクソだと思うけど、例えばそのクソが7割でクソなのと10割マンキンでクソなのとでは風向きが大きく変わってくる。


月並みではあるが、光があれば闇は必ずついてまわる。陽と陰は常に対で、闇は根こそぎ無くしたらいい!なんて簡単なものではない。

どちらも必要で、どちらもかけがえのないもの。


だから思想の良し悪し、物の見方と言うよりかは、その境目の微妙なコントラストの解像度が低い人が苦手なんだな。


例えば選挙一つとっても、自分の考えがある分には投票する政党やその人の持つ思想が右でも左でも、極端な話俺はどっちだっていい。己の信念に基づいて思慮を重ね行動したのならば。

ただ視野が狭くなったが故に思想が針のように細く尖り、排他的になり、他者、多様性を認めず、誰かや何かを傷つけることに憚りがないような人たちのことが苦手!ということだ。


余白があるかどうか。

その余白に名前をつけるとしたら思いやりとかになるのかもしれないな。


今日も白か黒かを決めあぐねている。

でもこれは俺の弱さだな。


でも誰しもが白か黒、0か100かを決められるほど強くはないよ。100人居ればリアルなんて100通りある。

そして、その狭間の温く濁った海で溺れ、悩む人たちのことを俺は、とてもいじらしく、とても人間らしくて、とても愛おしく思う。8時間くらいはほっぺをすりすりしてあげたい。


以上のことを踏まえて。

7割のクソ。その残った3割はなんだったんだって話。

あなたにもその3割によくよく目を凝らして、しっかりと耳を澄まして傾聴してみて欲しい。

きっとそこに決めあぐねている曖昧な心や時として狡さがあると思うから。

そしてその3割に込められた今にも消えそうな言葉に出来なかった本音や今にも消えそうな願い、か細い祈るような声が、いつかちゃんと届くべき場所や人の元へ届きますように。


まぁ、そんなマジのダイバーシティな世界がいつか来るといいよね。

強さが人を救った数と同じだけ、きっと弱さが人を救っているよ。


誰か俺に30000000000000兆円ください。