ドキドキ2月中旬から3月上旬、日本に帰省した際のことを書いていますドキドキ

車で島を周る途中、この3つの旗が目に入ったので立ち寄ってみました。
左から日本、アメリカ、グアムの旗です旗
なんとなく、何を意味するかわかりますよね・・・

BEAR'S ROOM ~My Sweet Life in Vienna~

そう、戦争の歴史を語る、大切な場所になっています。
もちろんこうした大砲などはレプリカです。
こんなに大きい道具を使って、私達は昔、「殺し合い」をしていたんですね・・・
戦争とは、経験していない私にとっても本当に恐ろしいことです手裏剣

BEAR'S ROOM ~My Sweet Life in Vienna~

このように、レプリカの横にも説明のボードが建てられていて、この島での悲劇惨劇を後世代にと語り続けてくれています。

BEAR'S ROOM ~My Sweet Life in Vienna~  

上の写真横にあるボード、ちょっと見にくいので、内容をそのまま書き写しますと・・・

BEAR'S ROOM ~My Sweet Life in Vienna~

<日本の高射砲>
この25ミリ高射砲は高性能爆薬や徹甲爆薬を使用しており、毎分300発を発射できる。米軍がグアムを奪還した当時、島は日本軍の高射砲と海岸砲で埋め尽くされていたという。戦後米軍は「戦争の遺物」とスクラップ処理したため、今日当時のままの状態で残っているものは少ない。

ちょっと歩くと、こんな素敵なビーチに出ました走る人

BEAR'S ROOM ~My Sweet Life in Vienna~

BEAR'S ROOM ~My Sweet Life in Vienna~

しかしながら、こんな素敵なビーチも当時はやはり血の海だったようです。
これまた説明ボードの内容を書き写しますと・・・
BEAR'S ROOM ~My Sweet Life in Vienna~


<アガット上陸海岸>
1944年7月21日、日本軍の機関銃や迫撃砲の攻撃、さらに白煙の間を抜けて数千人の米第77歩兵師団主力の海兵隊員がアガット海岸に侵攻した。リーフは浅かったので比較的米軍の攻撃は簡単だったが、
一方、アガットの地形上、日本軍もここが米軍の上陸目標であることを容易に察知できた。しかしガン岬からの日本軍の砲撃により米軍は長時間前進を妨げられた。
米軍の上陸拠点制覇は単にその後に続く3週間に亙る激戦の幕開けだった、ここから米軍が目標としたオロテ半島とアリファン山が展望できる。いずれも激戦の地となった。
アガットに接近する米軍上陸用舟ていの第一波。

アガット海岸で撃墜された日本軍の戦闘機の傍を通る米海兵隊員。
「上陸用車両が使えない時は凹凸が激しいリーフの上を腰まで水に濡れながら私達は進んだ。サンゴの上でつまづくと弾薬や武器は水につかることもあった」
米海兵隊 O.R.ロッジュ少佐

 
こうして上陸を試みる米軍を相手に、日本軍はきっと、こうしたところからも狙撃していたんでしょうね。
ビーチ沿いの小さな丘には、こうした場所がちらほら見受けられました。

母国への帰還を信じて戦い、その土を踏まずして命を落とされた方の無念さ、冷たい石から伝わってくるようでした。
BEAR'S ROOM ~My Sweet Life in Vienna~

BEAR'S ROOM ~My Sweet Life in Vienna~

自国のためにと勇敢に戦った軍人たち。
亡くなられた方の無念さはもちろん、今も思い出される惨劇の数々、仲間の死、そういったものを抱えて生きた方々になんと言葉をかけるべきかわかりません。
とにかく戦争が「あってはならないものである」ことを学ぶために、流された血は明らかに多すぎた。
そして戦争によってきれいに解決される問題は何一つないということを、戦争を経験していない私達の世代は、こうした先人が残してくれた「遺産」をもとにこれから語り継いでいかなければいけませんね。

ちょっと立ち寄った先でしたが、興味深く、そして大変価値ある勉強になったアガット湾でした。



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