2021,12,25にちに妊娠がわかり、神様とサンタさんからの贈り物だと思い奇跡にびっくりして動揺してしまいました。

 

夫も喜びすぎて挙動不審になって心配しました( ´∀` )

 

待望の妊娠ではありますが、前回、初期流産していたので不安でいっぱいの生活でした。

 

幸いなことにつわりはほとんどなく食欲旺盛で14キロも太りました。

病院は最初は植野産婦人科。色んな持病があったので安定期にからは筑波大病院に移りました。

 

住んでいるところからが遠くて大変でしたが、その病院じゃなくちゃ死ぬ危険があるほどの帝王切開と子宮筋腫除去手術でした。

 

妊娠中も夫婦互い心が脆いので、たまひよアプリやたまごクラブ、

ゼクシィベイビー、ネットや市役所、友人の先輩ママさん、両親や姉から育児がどれだけ大変か聞いて、いい子が生まれるためにできることは全てやりました。

 

お腹にどんな子に育ってほしいか夫婦で話しかけて、ベビープラスという胎教マシーンを使いました。メルカリで買いました。

 

産後は残念ながら実家は猫を飼ってるし、さすがにどんなに優しい義実家でも里帰りはできないので、夫に育休三ヶ月取ってもらいました。

 

なので、事前に二人でも育児できるようお金を惜しまず完璧に育児グッズを揃えました。引っ越しもしました。

 

商品はたまひよアプリのトーク情報、ベビー用品完全ガイドとゼクシィBAby・アマゾン・楽天の口コミで揃えました。

特にアマゾンの口コミは凄いです。絶対プライム会員になることおすすめします。

 

また育児本は姉がほぼワンオペで育児して、大変だったので色んな良い本をくれて全部読みました。

 

自分でも調べていいものは夫婦で全部読みました。

 

動画セミナーはミキハウスがとてもよかったです。

 

他にもネットでやった方が良いということは全部やると安産で良い子が生まれてきます。

 

体重も命がけで生んで育児本当に忙しいので、妊娠糖尿病にならなければ好きなだけ太っていい方針の病院でした。

 

あとできるなら産後二週間が母乳育児(混合)頑張ってください。

ホルモンで産後ハイになるので、周りが大変です。

 

私は今日3週間目でやっとおちつきました。

 

またジンクスや占い、神頼みはすべて当たるので正式な方法でお願いしてみてください。

 

本気で神様に感謝してお願いすれば必ず叶えてくれます。

 

常に周りに感謝し世界平和を祈ればそれは現実になります。

 

今は辛くても夢は絶対叶います。

ネットでいいということは全てやりました。ダイエットもして体力も付けました。あすけんアプリおすすめです。

 

今日のとことはこれでおしまいです。

 

 

2021年8月11日の子宮筋腫のことを書いてから、約4か月ぶりの更新になります。

 

その間の生活について書いていきたいと思います。

 

今年の目標は秋に就職すること(働くこと)でした。

 

そのために春の4月からデイケアに通いはじめました。

プログラムは就労サポートが週一回半日。

グループワーク(話し合い)が週一回半日。

 

働き方は障害者雇用であるB型作業所かクローズでのバイトを検討していました。

 

(とりあえずフルタイムは無理だと思っての判断です。)

※「クローズ」とは病気のことを雇用主に申告しないことです。

 

また7月から約3か月はデイケアのダイエットプログラムにも参加しました。

ダイエットについてはまたの機会の記事に書きたいと思います。

 

8月末でデイケアの就労サポートプログラムが終了したので、その月から、まずはB型作業所の見学をしました。

 

2件見学した結果の感想はいうと。。。

 

色々あるのですが、一言でいうと、

「自分には合わない」とはっきり感じました。

 

また見学に行くとなぜかすごく疲れてしまいました。

 

なので就労移行支援も含めて再度検討することにしました。

 

次回の記事には、障害者雇用の制度(就労移行支援や就労継続支援A型、B型など)についてまとめて書きたいと思います。

 

 

 

 

先日、子宮筋腫の経過観察でショックなことがあって、今日はそれについて書きたいと思います。

 

今までの経過としては、粘膜下筋腫で子宮頸部に4センチから5センチで治療として超低量ピルを服用しています。

 

実は。。。不妊治療を来年の年明けから再開するつもりでした。

 

夫も私も身体の調子がだいぶ良くなって、夫は仕事も順調なので、お互いの年齢(私35歳と夫39歳です)も考慮して前向きに進めようという話しをしていました。

 

子宮筋腫は様子を見ながら、手術などはしないで妊娠するというのが今かかっている産婦人科医の見立てでした。

 

しかし先日診てもらったときに、子宮の内膜に影響している可能性出てきて、また少しずつ大きくなっていると。

 

内膜に影響していると妊娠の妨げになる可能性があるので、妊娠する前に筋腫の治療が必要になるかもしれない。

 

とりあえず10月までピル飲んで経過観察して、その後の方針をきめましょう。

 

そう言われてしまいました。

 

この筋腫は3つの病院で診てもらったことがあるのですが、

 

・手術して全摘出なら開腹手術じゃないと取れない

・手術すると1年は妊娠できない

・手術で妊娠しづらくなる可能性がある

・また妊娠しても帝王切開

・多発性筋腫で頸部にもう一つ小さいのもあり、帝王切開するときに邪魔な位置にある。

 

それに私は精神病もあるので、大学病院での手術になる可能性が高いのですが、今はコロナの影響で良性腫瘍の手術を受けてもらえるか不透明です。

(コロナ前で半年待ちだったので、1年以上先もありうる)

 

もう子供は諦めろと言われている気がして、すごく気持ちが落ち込みました。

 

ただまだどうなるか未定なので、何かいい方向に考えるようにとは思っています。

 

病気や色んな事が次から次へとです。。。

 

 

本当に久しぶりの更新になりました。

 

過去のエピソードから順に書くつもりでしたが、嫌なことを思い出すのは苦痛になるみたいです。

 

タイトル通りのことは愚痴になってしまいますが、ここら辺は箇条書きでサクッと書いて次回からが闘病エピソードにしようかと考えています。

 

・母は小さい頃からいつも不機嫌で褒められたり可愛がられた記憶がない。

 

・私は途中まで成績が良くて中学生ではテストで1番も取ったが、もっと頑張れとしか言われなかった。

 

・彼氏ができた姉に切れて、姉の大切にしていたものを外に放りなげて全部壊したことがある。

 

・引っ越しした際に、連絡もなしに無断で姉や私の大切にしていたものを全て捨てた。(後から聞いたら、自分で片付けなかったのが悪いし、大変だったのは私だからと逆に責められた。)

 

姉も私もすごくつらくて孤独だった時があるが、自分の愚痴を長電話してくるだけで子供のことは見捨てていたときがある。

 

・娘たちに彼氏ができて、自分の気に入らない人だと徹底的に無視したり怒ったりして関係が最悪になった。

 

・私のせいで家猫が脱走したとき、半狂乱になって「お前が死ねばいいのに」と言われた。

 

現在は、母には新しいパートナー(母の彼氏)のできて、私たち子供も自立して関係は良好になっています。

 

昔のことを、こんなことがあって辛かったなって言っても、自分が一番辛かったという言い訳だけで謝罪はありません。

 

母とのことは夫や主治医に話して、だいぶ浄化できてきていますがやっぱり時々思い出してモヤモヤします。

 

傷ついた心ってなかなか治らないですよね。

 

でもこれからは母の呪縛もないので、自分にはもう関係ないんだって気持ちで進んでいきたいと思っています。

 

 

今回は母がうつ病だったときのエピソードを中心に母の良い面も書きたいと思います。

 

これまでの母についてのお話だと「毒親」っぽいですよね。

 

でも、そういうおかしな時期があっただけで、本来の母は「毒親」ではありません。

 

母は父(養父)が亡くなってから、「うつ病」と診断され1年近く病院は通っていました。

 

基本的に日中は寝てばかりで、買い物も一人で行けなかったらしいです。

 

でも、私たちが困ることがないように、きちんと母親として家事をしてくれていました。

 

なのであまり病気の母親だと感じたことはなかったです。

 

ただ思い出して悲しくて淋しい気持ちになるのは、母が気が付くと庭でタバコを吸っていたことです。

 

銘柄は亡き父が吸っていたタバコです。

 

その時たぶん泣いているんだろうなと感じていました。

(隠れて吸って隠れて泣いているつもりだったみたいですが、)

 

やさぐれたような母親の姿に少し嫌悪感がありつつも、父親のことを想って吸っていると思うと切なくなって何も言えなかったです。

 

母親のうつ病は、私が中学生になるころには完治したようです。

 

今回はここまででまた続きを書きたいと思います。