なつきダイエット日記

なつきダイエット日記

今はダイエット記録つけています〜!

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痩せることに限らないんですけど、チャンスってそこらじゅうに落ちているんですよ

小石程度の大きさがゴロゴロ落っこちているから、気づきにくいだけで

その小石全部集めていたらすごい成功につながるんですよ

 

でも、その石を集めるのが面倒くさくて大した数拾わなくて、大きい宝石でも見つかったらそれを拾えば良いんじゃない?って思っている節があるんですよね、私きっと

けどそういう人って、いざ目の前に宝石があっても拾えないんですよ。私のことですね

 

そもそもそれを宝石だと気づくことも出来ていないですよ

 

よく聞く言葉が、ピンチと捉えるかチャンスと捉えるか、という

投げ込まれた石をピンチと捉えるか、チャンスと捉えて宝石に変えるか

 

・ご飯を30回噛んでから飲み込む

・少しの距離ならバスを使わず歩く

・エスカレーターやエレベーターではなく階段を使う

・電車やバスの中では立つ

・テレビなどのCMの合間にストレッチや簡単な筋トレを行う

・お昼休みなどに会社の周りを散歩する

 

……等々、多分他にもありますね

私が知らないだけで

 

こういう小さな小石のような行動を積み重ねることが出来る人が、大きな成功を掴むんですよね……

しかも、その小石を小石と思うか宝石と思うかで、行動力に大きな差が出てきますし

 

私も意識してやっているつもりでしたが、記録をつけてみると意外とやっていなかったんですよね

反省しかない……

身体を動かすチャンスは、面倒だと思わずに積極的に手に入れていくしかないのです

ダイエットしていると一番心惑わされるのは、周囲の声です。

 

私は、周囲の声に応えたい気持ちが強いようです。

前回の部数のお話でもお分かりになるかたもいると思いますが。

 

いいねやブクマ数を気にするというのは、そういう感情が強いのではないかと思っています。

 

つまり、

他人の声に従ってしまう

ということですね。

ある意味自分で考える権利を放棄した結果ともいえます。

 

しかし私の場合かなり面倒くさい性格をしており、ダイエットとしていると言えば、

周りは期待してくるだろうと思うと、周囲の期待に応えてはいけない、と考えてしまい(極端)

「私は痩せたくない!」という反抗に出ます(極端)

 

そうして、一昨日も、経過を報告してはいないけれど、歩いたりご飯の量を調節したりする私の姿を見て、ダイエットしているなと感じた親が

「ライ●ップとかいかないと、ダメのかもね。足りない分は工面してあげるから、行ってみたら?」

と言ってくれました。

 

私は泣きたい通り越して絶望しました。

こんな微々たる痩せ方では、痩せていないのと同じなのか、と。

しかも、成人した良い年した大人に、お金の工面をするという。かなり侮辱に近い。

たしかにいい年して親と同居している時点で偉そうなことは云えないが。

 

話がずれましたが、私は「短期間で目に見える変化をしないといけないのか」と焦りました。

ですが、そう焦ったのも、一時です。

親は私に提案をしてくれたにすぎない。

それを受け取るも受け取らないも私の自由。

 

親は親なりに、私の幸せを願っている。

それは私のやり方と違うが、親のその言葉は、有難く受け取って、私はまたいつものとおり、自分のペースでダイエットを続けています。

 

親や友だちの言葉の期待に応えるか、反抗して意地になるかの問題ではないのだ。

その心配の仕方が過度のものであるか否かというだけで、私を心配してくれる声に、私は素直にありがとう、と思えるようになった。

 

ダイエットというのは、体重が痩せるだけではない。

己を見つめ、己と対峙して己と判り合うためのキッカケなのだと思うようになってきた、

 

私の今のするべきことは、ライ●ップで体重や脂肪を落とすことではない。

己の足るを知り、自分ととことん向き合っていくことだ。

 

少なくともここ数カ月で私は、何歩か前に歩き出せている。

他者から見た体型や体重は変わらないかもしれないけれど、私の身体は少しずつ変わってきていると、私は感じています。

周りから見たら手を引いてあげたくなる鈍足さかもしれないけれど、今私はライ●ップを必要としていないということがわかったので、それだけで収穫です。

 

ただ、筋トレをしてみたいとは思っているので、もうしばらくしたらジムには行きたいです。

何せ、動画などで見本を見て忠実に再現しているつもりなのに、すぐ身体を傷めてしまうので、何がいけないのか、正しい筋トレを学びに行きたいのです。

まず、

今の私は結果を出すために目標を立てたり頑張ろうとしてはいけない

 

結果は経験を積まないと見えてこない。

経験を積まないということは己を知らないと同じ意味になる。

己を知らないと、結果に自分の力量を上回った期待を抱いてしまう。

 

自分の力でそこまでたどり着けるわけがない、と思えるものも、

ダメだった。結果を出せなかった。私は出来ない人間なんだ

という思考に安易に陥ることができる。

結果、努力など意味がないと不貞腐れることができる。

 

畑違いや自分の力量を見誤った高すぎる目標への努力は確かに意味がない

努力は、自分のレベルに合わせて行わないと勿体ない

 

なので、今はまだ結果を求めるべきではない

毎日行い、それを長く続けていく、という「目標」を立て、それを毎日続けていくことが、今私に求められている課題だ。

結果を求めるのは、自分のデータ、情報をある程度仕入れ、己を知ることが出来てからだ。

 

最近、「この程度できるよ」「この程度わかっているよ」と思っていたものが、全然できないし全然わかっていなかったという情けなさを痛感して、私は自分の力量を見誤る傾向がある、と気づいた。

これは、「私はこれくらい食べたいんだ!」という嘘の食欲と同じである

実際自分はそんなにお腹が減っていなくても、過去食べることが出来た実績と思い込みで、力量以上のことが出来ると、己を見誤る。

 

この二か月、一万歩以上歩きたいと思っているが、実際歩けたのは最大5,000歩である。

その記録を無視して「もっと歩かないと!」と言っているのだから、自分を根拠なく過信していると言うのだ

 

 

 

話が少しダイエットから逸れますが。

私の場合、同人活動にも同じことが言えます。

みんないいねやブクマがたくさんされているのに私は……

私は10部刷っても余るのにみんな三桁とか景気のいい話をしているな

とか。

そして、

もっと頑張って画力あげなくちゃ!

もっといろいろな人に知ってもらうためにたくさん書かないと!

と、見当違いな方向に努力しようとするのが得意でした

それが結果につながらない、と落ち込んでいたけれど、迷走しているなぁ、と今なら思えます。

大きな夢を見るのが得意なのです、私(*´▽`*)

 

でも、そんな大きな夢を受け取れる術を私は持ち合わせていないのです。

それは、才能がないとか努力が足りないとかじゃなく、「今あるべきものを精一杯に取り組めないものが、どうして大きなものへ取り組めるというのだろう」ということです。

たとえ日給が1,000円であっても、やるべきことはそこに不平不満を言って手を抜いたりするのではなく、与えられた課題に真剣に、全力で打ちこめということです。

別にその日給以上に働けとか、ましてや1,000円分の働きだけしろというわけではないです。

貰うのが1,000円でも1,000,000円でも、関係ないんです。

自分の責務を熟すことが最重要課題であり、目標なのです。

 

目の前にある課題は選べません。

10円くらいの課題が飛んでくることもあれば、5億くらいの課題が飛んでくることもあります。

そこから自分の好きなものだけ選ぼうなんて思えるはずがないのです。

その課題にいくらの価値があるかなんて、今の私にわかるわけがないのですから。

そもそもその課題は、今の私なら出来るから、と与えられたものなので、それはある意味チャンスです。

それをチャンスと思うってやるか、面倒くさいからとやらないかで、結果が決まってきます。

 

自分のことは自分が一番わかっているようで、意外とわからないものですから。

 

自分と対面する方法は、とにもかくにも挑戦しかないんです。

それは高すぎるハードルにわざわざ立ち向かうのではなく、目の前に突き付けられた課題に全力で立ち向かうということです。

 

その課題が熟せなくても、落ち込んだり拗ねるのではなく、「今の自分の力量を知れた」と喜ぶべきなんですよね。

 

というわけで、今日も頑張ってきます!