スウィンギング・ロンドンの伝説 | 懐かCD

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マリークワント展

からの
映画です。

監督はサディ・フロスト

マリークワントの半生について、
ドラマ化したシーンや
アーカイブ映像、
同時代のデザイナーや
クリエイターのインタビュー
などで綴っています。
マリークワントご本人は
コロナの影響と
高齢(92歳?)のため、
インタビューはかなわなかったそうです。




ここからは、ネタバレありです。
といっても、
ドキュメンタリー作品なので
ストーリーはありません。
自伝も出版されていますので
ほぼ既出の内容かなと思います。

教師の家庭に生まれ育ち
少女時代から
自分に合う服を着こなしていたマリー。

夫であり、
ビジネスパートナーとなる
アレキサンダーとの馴れ初めや、
その友人のアーチーとの出会いが
運命的だと思います。

アーチーは若き弁護士でしたが、
アートやファッション、
音楽関係者などが集まる
コーヒー・バーの
経営者でもありました。

コーヒー
話は逸れますが、
ドトールコーヒーの創業者
鳥羽博道氏は、
たしかヨーロッパで
コーヒー・バーのような店舗を知り、
明るい雰囲気の中で
老若男女が手軽にコーヒーと
会話を楽しんでいる姿を見て、
現在のドトールコーヒーのような
コーヒースタンド
(当時は立ち飲み)を
日本につくることにした、
というのを見たことがあります。

私、ドトール好きです。
ブラック好きは、
ドトール好きな方が
多い気がします。
コーヒー

話を戻しますが、
このアーチーさんは
法律の専門家としてはもちろん、
ビジネスに対してかなりのセンスと
先見の目をお持ちだったのでは?
と思います。
そして、
貴族育ちの遊び人で人気者
=社交的で交渉と宣伝上手な
アレキサンダー。

何か新しい事業を始めたいと思った
この二人が、
独創的なファッションの才能溢れる
マリーをプロデュースする
という見事なチームなのです。

アレキサンダーとアーチーが
5000ポンドずつ出資して
1955年にロンドン初のブティック
BAZAARをオープンしました。

「自由に自分らしく」
マリーが着たい服を揃えたお店に
新しいもの好きの若者たちは
夢中になりました。

マリーは服に集中
していましたが、
値段を安くつけすぎて
しまったり、
生地を多く買い付けて、
経営を圧迫していたりと
失敗もあったようです。

やがて
NYをはじめ全米での
ファッションショーが成功し、
アメリカ進出を果たしました。

明るくポップで気分が上がる
マリーのファッションに対して
メイクはまだまだ
追い付いていませんでした。
そこで、
アイシャドウ
チーク
口紅などの
メイクアップ商品の開発や、
香水、インテリア
などへとビジネスが広がり
ライセンス事業も本格化していきます。

アーチーのすすめで、
69年までには
BAZAARの店舗を全て閉め、
収益を予想しやすい
ライセンスビジネス中心となっていきます。
実際のところ、
この決断はマリーにとって
厳しいものだったようです。

既製服ラインのコレクションも
75年の春夏を最後に
オフィス、ショールームも
閉鎖となりました。

一方で
タイツなどのレッグウエアは
人気があり定番となっていきました。

70年代には日本にも進出して
化粧品はとても人気だったそうです。
1986年に日本で75店舗
1996年には200店舗。
私の記憶にある
90年代は全盛期だったのですね。

MARY QUANTの売り場は
カラフルでポップな色使いの
アイシャドウが
たくさん並んでいて、
見ているだけで楽しい
という印象でした。
パレットのような
あのディスプレイも
MARY QUANTが先駆者だったのかも。

映画によると70年代には
スウィンギング・ロンドンの
カルチャーも衰退したのだそう。

マリークワント社は
ライセンス事業で
インテリアや
キッチングッズなども手掛け
ライフスタイルを
トータルデザインする
ブランドとなりました。

今回の展示は、
インテリア関係の展示は
無かったのですが、
絨毯や
ベッドなどの家具も
手掛けていたようです。

1988年にはアーチーが
高齢となったため
マリークワント社を去り、
90年代には夫の
アレキサンダーが58才で他界。
若い頃からの不摂生が祟ったようです。

マリークワントという
人物に関して
意外だったのが
内気で控えめな性格ということでした。

インタビューは大の苦手で
いつも夫の
アレキサンダーが受答えし、
その間にマリーの
考えがまとまったら
バトンタッチする。
といった
阿吽の呼吸だったそうです。

60歳台に入り、
マリーは1人で活動することに
なりましたが、
経営面のブレーンと
交渉、宣伝の後ろ楯をなくし、
ダメージは相当だと予想します。

そのような中、
マリーは日本との契約をまとめます。

1993年
マリークワントコスメチックスジャパンが、全世界における商標権とライセンス権を取得しました。
なんと
マリークワント社は
日本の会社になりました。

日本の
「カワイイ」
を愛する文化は
マリークワントと
相思相愛だったようです。
加えて、マリーは
日本で生産される商品の
質や細部へのこだわり、
美意識に感銘をうけていたそうです。

2000年にはマリー自身
マリークワント社の職を退任し、
顧問となったそうです。

展示や映画で見たマリーは
おしゃれなサスーンカットで
まっすくカメラを見つめ
モデルのように
自分の服を着こなし
まさに
ブランドアイコン的な
存在として見ていましたが、
実は
内気で控えめな女性。

でも、そのまっすぐな
眼差しからは
意思の強さを感じます。

時代のパイオニアである
マリーの交渉術は
実は最強だと思います。

「相手の反応を待つ、何も言わずに」



◆今回の展示は、ヴィクトリア&アルバート博物館より始まり、世界中の美術館を巡回するそうです。