今年の春タイで家を建ててみたり


夏にはインドのマザーハウスに行ってみたり


俄ながらも「ボランティア」と呼ばれるものに参加してきました。
参加する動機は単純で、
「ちょっと知らない世界に飛び込んで自分に何ができるのかやってみたかった」
別に慈善心とかがあったわけではなく。どうせ海外に行くのなら何か経験したいと。
でもタイではプログラムをこなすだけ。
これでは意味がないと思ってインドに一人で飛び込んでみたものの、
まったく何もできませんでした。
マニュアルも何もなくれて、周りに日本人もいない。
必死に伝えようとしてくれても、言葉が分からない。
洗濯は全て手洗いで行い、配膳、排泄、寝床の準備、身の回りのこと全部。
でも、一人ひとりと向き合ってその人が自力でできる部分は奪ってはいけない。
いた時間がいたのが短いのもあるけど、私には一人とちゃんと向き合うことができなかった。
ボランティアは決して偽善では務まりません。そこにいる人たちは本気で向き合っている。
ボランティアは与えるのではなく、与えられるのだと思います。
これはきれいごとではなくて。
ただ、マザーハウスでボランティアが行われている一方で、道端の物乞いが無視されていたり
燃やされなかった遺体が川に浮いているような現状もある。
何も分かっていないで好奇心だけで手を付けた自分は、
とても無責任だと感じました。
それは、チャリティーとか募金活動もまた然り。
使い道もその背景のも分かっていないのに、
やっただけで満足してしまうような人間ではありたくない。
だから私は、道端の募金は、そこで頑張っている人に対してするようにしています。
ちょっと「好き」とは離れたけど
今までちゃんと振り返れていなかったので、書いてみました。
インドに行ったとき毎日5ページ以上書いてた日記を久しぶりに開いて
まるで夢だったかのような、そんな気分。
インドの話は、またネタがなくなったら書こ。