「私は差別なんてしません。人種も性別も関係なく、みんな平等であるべきです」
もしあなたが、澄ました顔でそう思っているなら、この記事はあなたへの**「宣告」だ。 あなたは差別をしていないのではない。「世間的にダメだと言われているわかりやすい差別」をしていないだけ**で、日常の解像度を上げれば、息をするように他人を見下し、選別し、差別している。
今日は、そんな私たちの**「善良な皮を被った醜悪な本性」**について、少し科学的な話を交えて語ろうと思う。
日本という「陰湿な格付け社会」
欧米のような激しい人種差別デモがないからといって、日本が平和だと思ったら大間違いだ。むしろ、**「目に見えないパラメータ」**による差別に関しては、この国は世界有数の先進国だと言える。
記憶に新しいだろうか。以前、あるメディアが公開し大炎上した**「底辺職ランキング」**という記事を。 土木、介護、清掃、物流……。 私たちの生活インフラを物理的に支えているエッセンシャルワーカーたちを、「誰でもできる」「年収が低い」という理由だけで「底辺」とラベリングし、嘲笑ったあの事件だ。
あれを見て「酷い!」と怒った人は多いだろう。だが、胸に手を当てて考えてほしい。 あなたは、コンビニの店員にタメ口を聞いていないか? マッチングアプリで、年収や学歴、身長だけで相手を「左スワイプ(切り捨て)」していないか? 電車で隣に座った人の身なりを見て、露骨に眉をひそめていないか?
これらはすべて、**立派な「差別」だ。 「職業差別」「容姿差別」「年収差別」。人種という変数が、カネや見た目に置き換わっただけで、やっていることの本質は「自分より下を作って安心したい」**というマウント行為に他ならない。
科学が証明する「差別は脳の快楽物質」
なぜ人間は、平和を愛すると言いながら、これほどまでに差別(格付け)をやめられないのか? 残念ながら、それは**脳の構造上のバグ(仕様)**だ。
進化心理学的に言えば、人間は集団を作らなければ生き残れない生物だった。そのため、**「ウチ(味方)」と「ソト(敵・異物)」を瞬時に区別する回路が脳に焼き付いている。これを「内集団バイアス」**という。
さらに残酷なのが、脳内麻薬の存在だ。 人は、他人を批判したり、自分より劣っている(と自分が信じている)存在を確認したりすると、脳内で**ドーパミン(快楽物質)が分泌されることが分かっている。 つまり、「あいつは底辺だ」「自分はあっち側じゃなくてよかった」と見下す行為は、脳にとっては「酒やドラッグと同じくらい気持ちいい娯楽」**なのだ。
ネットで炎上が止まらないのも、底辺職ランキングのような記事がPVを稼ぐのも、みんな正義感で動いているわけではない。 「他人を見下す」という、最もコスパの良い娯楽を消費しているに過ぎない。
「平等」なんて幻想、この世はマトリックス
こうして見ると、人間社会というのは、綺麗な言葉でラッピングされた**「巨大なコロシアム」**だ。 物理的な殴り合い(戦争)が減った代わりに、年収、偏差値、フォロワー数、容姿偏差値といった数字を武器に、精神的な殴り合いを死ぬまで続けている。
「差別はいけない」という道徳は美しい。 だが、**「差別(区別)しなければ自分の立ち位置を確認できず、不安でたまらない」**という人間の生物学的欠陥がある限り、この世から争いがなくなることはないだろう。
勝った負けたで一喜一憂し、他人を底辺と呼んで安心する。そんな浅ましいゲームに強制参加させられているのが、今の「現実」だ。
結論:絶望するか、諦めるか
差別はなくならない。なぜなら、人間そのものが**「差をつけることでしか自己を認識できないバグだらけの生き物」**だからだ。
もし、この「マウント合戦」というクソゲーに疲れたのなら、方法は二つしかない。 一つは、自分もその醜いゲームのプレイヤーであることを自覚し、泥沼の中で戦い続けること。 もう一つは、「人間(他者)」というノイズを遮断し、自分だけの平和なサンクチュアリ(聖域)に引きこもることだ。
AIが台頭する未来、私たちは嫌な人間と関わらなくて済むようになるかもしれない。 「差別」という概念すら存在しない、完全なオーダーメイドの世界。 そこへの移行を「逃げ」と呼ぶ人間もいるだろうが、私はそうは思わない。
差別と偏見にまみれたこの現実世界より、よほど理性的で、平和な進化だと言えるのではないだろうか。