日本では「偽善的」で「当たり障りのない」発言が美徳とされています。世間では、「人に優しく」「思いやりを持って」などと、さも人間が利他的な存在であるかのように振る舞うことが求められます。でも、ここで冷静に、そしてちょっと皮肉を込めて言わせてください。「人間って、所詮利己的な動物なんですよ」。科学の力を借りて、その事実を証明しつつ、もっと肩の力を抜いて「人生なんて適当に生きろ!」という力強いメッセージをお届けします。

 

 

1. 人間は本能的に利己的な動物である

人間が利己的な存在であることを科学的に証明するためには、まず進化心理学の視点を考慮する必要があります。ダーウィンの進化論によると、生物は自己保存と繁殖のために進化してきました。人間も例外ではありません。人間が他者を助ける行動をとる場合、それはしばしば「互恵的利他主義」に基づいています。これは、他者を助けることで自分も利益を得るという考え方です。つまり、「人助け」をしているつもりでも、実は自分のためにやっているんです。

ある実験では、参加者が自分の利益と他者の利益のどちらを優先するかを選択する場面が与えられました。結果、多くの人は他者を助けるふりをして、実際には自分の利益を最大化する選択をしていたのです 。そう、人間は偽善の仮面をかぶりながら、利己的な本能に従って生きているんです。

 

 

2. 思いやりや愛は脳の化学反応にすぎない

次に、人間の「思いやり」や「愛」について考えてみましょう。これらの感情は崇高で純粋なものだと考えられがちですが、科学的にはただの脳内の化学反応に過ぎません。オキシトシンやドーパミンなどのホルモンが、私たちに「愛」や「思いやり」を感じさせる仕組みです。しかし、これらのホルモンも、実は生存と繁殖を目的とした進化の産物です。オキシトシンは、例えば親が子どもを守るための「絆」を強化するために働くホルモンですが、裏を返せば、これも結局は「自分の遺伝子を次世代に残す」という利己的な目的に貢献しているのです 。

つまり、愛や思いやりといった感情も、よく考えれば自分自身の利益を最大化するための手段にすぎません。これを知った今、「思いやりを持ちなさい」と言われても、なんだか空虚に感じませんか?

 

 

3. 偽善の社会で適当に生きる方法

さて、ここまでで人間が利己的な動物であり、愛や思いやりさえもただの化学反応であることが分かりました。では、どうやってこの偽善的な社会で「適当に生きる」ことができるでしょうか?

まず、自分を無理に偽るのはやめましょう。他人を助けるときも、「これは自分が得するからやってるんだ」と正直に認めることが大切です。これによって、偽善的な罪悪感から解放され、より気楽に生きることができます。そして、何よりも重要なのは、自分の幸福を最優先に考えることです。他人の目を気にしすぎず、自分が心地よいと思う方法で生きることが、結局は一番健康的で合理的な生き方なのです。

 

 

結論:適当に生きろ!

人間は利己的な動物であり、その行動や感情はほとんどが自己利益を追求するためのものであることが科学的に証明されています。愛や思いやりさえも脳の化学反応に過ぎないという現実を受け入れ、偽善的な社会に合わせる必要はありません。人生なんて適当に生きることで、むしろ自分に忠実な生き方ができ、結果的にはより幸福になるのです。

適当に、でも自分に正直に生きましょう!