これ、書くか迷ったけど記録として書こうかな。
ワクチンを打つ、打たないとか。
自粛をする、しないとか。
マスクをつける、つけないとか。
色んな意見や思想とも思えるものが飛び交っているけど。
自分とは違う意見を持つ人を、責めることでしか、論破することでしか前には進めないだろうか。
本音を書くなら、わからないよ、真実なんて。
そもそも真実なんてものがあるって思いこんでることすら幻想みたいな気もする。
情報を取って、その上で、自分とは違う選択をしている人もいるかもしれない。(もちろんテレビだけを盲目的に信じている人もいるだろう)
でもテレビだって悪だけではないし、その逆もしかり。
正義と言われているものが悪で、悪と言われているものが正義だった。
それもあるかもしれない。
でも、真っ白なだけのものも真っ黒なだけのものもないと思うんだ。
どちらの情報も、いくらでも操ることはできる。
そういう中で、私たちは自分たちで選択していかなきゃいけない。
守るべき人がいる人は、その分の命の選択も担ってる。
ちなみに余談だけど、私はコロナ騒動初期にも書いたけど「自己免疫力を高める」というところに焦点を絞ってる。
過度な消毒で常在菌を殺したり、外でめいっぱい遊ぶ子どもに酸素不足になるマスクは必要ないと思ってる。ワクチンに関してもわざわざ書かないけど、自分のスタンスは決まってる。
でも、絶対はないよ。
私だって、自分の選択を後悔するかもしれない。
子どもたちがまだ小さい今は、彼らの未来だって私の選択ひとつで大きく変わることは容易にある。
はっきり言えばこわいと思うこともあるし、わからないこともたくさんあるよ。
そして私は、ほとんどの人がそうだと思うんだ。
情報を取ったところで、本当のところはわからない。でも、決めなきゃいけない。
(もう私は、究極のところ「勘」と「違和感」をバロメーターにしてます。別にマネしないでいいよ←)
少し話が変わるけど。(そしてちょっとスピな話になるよん)
去年のいつだったかな、秋とかかな。
そのへんに、やたら「戦争」のビジョンをみることがあって。
しかもまるさん(相棒の宇宙人的サムシング)に、これから大きく混乱期になる。分裂も起きる。
って聞いてて、はっきりいうと
うんざりしてて。笑
もういいよ。
いったい何度同じことを繰り返せば気が済むんだろう。
って思ってた。
(戦争って、武力だけのものをいってるわけじゃないのは当時からわかってた。大きく分裂するってこと。)
でもまんまとここ一カ月自分もその波にのまれてた。
なかなかにしんどくて。
鑑定中はとても静かな場所にいられたけど、ふと俗世(w)に戻ると、批判のし合い、攻撃のし合い。
大きな声を上げるわけじゃなくても無言の同調圧力もあったり。(日本はこれ特にね)
またやっかいなのが、どちらもこちらも「正義の名のもと」だからどうしようもない。
まさに戦争の縮図みたいだな、と思った。
かくゆう私も、大切な身近な人たちが自分とは違う選択をすると決めたりすると、なんだか無性に攻撃的になってしまったりもした。
はっとしたよね。
私が大切にしたいことって何だろうって。
だから、話をした。
正確に言うと、話を聞いた。
あなたの話を聞かせてほしいって、自分とは逆の選択をする大切な人の話を。
論破するためじゃなくて、反論するためじゃなくて、話を聞きたいって。
あなたの言葉で、あなたの本音を。
そして、そうしたら、すーっと楽になったよ。
もうわたしは、この戦争からは降りようと決めた。
きちんと伝えることは伝えて、行動するべきことは行動するけど、他人を変えることはできない。
それがたとえ大切な人でも。
みんなも想像してみてほしいんだ。
例えば、自分の大切な子どもが、親が、恋人が、妻が、自分とは違う命の選択をすると決めたら、それが安易なものじゃなく、考えたうえでの選択だとしたら、話を聞こうと思わないかな。
どうしてそうすることにしたのか、今、どんな気持ちなのか。
それがたとえ距離の離れた他人でも、同じことだと思うんだ。
戦争や争いは、いつでも想像力の欠如から生まれる。
顔が見えないから、知らない人だから、銃を放てるし、爆弾を落とせる。
でもその人たちにも、ひとつひとつの葛藤と、人生があるんだ。
その言葉の刃を向けている誰かが、批判して論破しようと躍起になっている相手が、自分の子どもだったら、大切な誰かだったら、同じような態度になるだろうか。
あなたの話を聞きたい、とは思わないかな?
私が綺麗ごとを言っているのかもしれないけど、それでもいい。
私は、たとえ船の進路が大きく分かれても、お互いの幸運を願えるようなそんな世界がいい。
ほんとうの多様性ってなんだろう。
私の人生のテーマの一つだと思ってます。
※この記事は、特定の誰かやなにかを批判しようと思って書いたものではないです。