自分用に。記録しておきたい気持ちを保存します。
三浦春馬さんのこと。
周りもかなりガツンときた人が多かったみたいだけど、私もそのひとりでした。
単純に、こころの奥の方がずっとしくしく悲しかった。
特別ファンなわけじゃなかったし、舞台などを観に行ったこともなかったですが、かなり前のドラマか何かでお芝居を見た時に、
すごく誠実に、真摯にお芝居をされる方だなあ
と思ったのは覚えています。
そこからは、同年代の俳優さんの中でも私の中では「お芝居ができる人」というカテゴリに勝手に分類されていました。
子役からやられていたんですね。
この記事、良記事でした。愛を感じた。
亡くなられてから、ほとんどのメディアはその「理由」を知りたがっていましたね。
世論でもあるのかもしれない。
人って、理解できないことを不安に思ういきものだから。どうしても「理由」が必要なんですよね、自分のために。自分が納得して気持ちの整理をつけるために。
でもそれ(理由)は、絶対に今後も、彼だけのものだと思います。誰にも分かりえない。
メディアも私たちも、ある意味では必死に救いのようなものを探しているのかもしれない。
誠実で、真摯に仕事に向き合い、周りからの評判も良く、順風満帆にみえていたスターが、何の前触れもなく自ら命を絶ってしまったこと。
その事実に、多くの人が不意打ちで自分自身の一番深い部分の闇を見てしまったような感覚もあったのかもしれない。
知り合いのセラピスト、綾乃さんの投稿がとてもよかったです。
ほんとうに、そう。
死にたいとか、消えてなくなりたいとか、それは生きてたら普通に起こる感情だったりする。
だから、「死にたいなんて言わないで」とか「自ら命を絶つことだけは絶対だめだ」なんて、そんなことは、言えるはずない。
私自身は、第一報を見た瞬間、大きなショックとともに、
ああ。
やっと大きく呼吸ができたのかもしれない。
と根拠もなく思ったりした。勝手だね。
でも彼の決断を、尊重する以外、なにができるだろうか。
こんなことを書いたら不謹慎かな。
それでも、なんでこんなに悲しくてやりきれないんだろうって、
やっぱり、
生きていてほしかったんだな。
ほんとに、勝手だね。
こんな大混乱期に生きている私たちだけど、未来を、希望を、信じたい。
彼にとっては、その「未来」や「希望」が、自ら命を絶つことだったのは百も承知で、
ここから大人になっていく子どもたちや今どうしていいか分からない人たちが、
こっちの世界でも大きく呼吸ができるような、そんな世界になれ!!!
と強く想った。
それだけ。