大学同期のなぎさのブログ。
とってもよかったので、リプログ。
この公演観たんですけどね。
うまく言葉にできないけど、よかったです、とても。(説明下手くそか
でも私があれこれ書くよりなぎさのブログを見てほしい、ぜひ。
で。
なぎさのブログを読んで、ちょっと書こうと思ったことがあって。
夏の終わりに、短編戯曲を一本書いたんです。
それを、なんかどうしても自分で書いた気がしなくて。
もう一心不乱に2日くらいで書いたんだけど、書き終わった後に、
あ、文江おばあちゃんだ
と思ったんです。
文江おばあちゃんていうのは、もう随分前に亡くなった私のおばあちゃんです。
でも正確には血は繋がっていなくて、文江おばあちゃんには子どもはいない。
文江おばあちゃんは、小説にしたとしても嘘っぽすぎるくらい壮絶な人生を生きた人で、でも私たちの記憶に残る頃には、孫を心から愛する普通の優しいおばあちゃんでした。
家族の中で誰よりも、子どもたちの夢や目標を1番に応援してくれた人で、姉の留学資金を出してくれたり私の舞台も、元気なうちは全部観に来てくれていた。
たぶん家族の中で誰よりも、世間の厳しさやお金を稼ぐということ、人間関係のことなど熟知している人だったけど、説教みたいなことを孫の私たちに言ったことは、私の記憶では1度もなかった。
そしてそれでも、私は彼女のことが苦手だった。
とても。
なにも言わないけどすべてわかっているような目も、優しくて強くて、でも脆いところも、苦手だった。
よく、
いつか私の人生を小説にしてほしい
と言っていた。
亡くなった時も、ガンで入院していて、私はいつだって行こうと思えばお見舞いに行けたのに、あんまり行かなかった。
そして、ちょうど劇団の公演の稽古の大詰めみたいな時だったと思うんだけど。
おばあちゃん亡くなった
という連絡が来て、中野島の稽古場から駅に向かって小走りであるいた。
余談だけど、今の夫が、その時劇団の先輩で、まだちゃんと話したこともなかったんだけど、たまたまその帰り道に会って。
どうしたの。急いでんの?
と言われて、
おばあちゃん、死んじゃって、、。
と言ったら、一瞬おどろいた顔して、でも励ますでもなく本当にぼつりと
そうか。早く帰りな。
と言ってくれた、その一言で何かが救われた気がした。
夫は、そういう魔法をつかえる人だったりする。
そして、歩きながら、
いくらでもお見舞いになんて行けたのに、でも行かなかった(行けなかったのではなく)のだから、そんな私が、行けばよかった、もっと優しくしてあげればよかった、なんて泣くのは卑劣な人間がやることな気がして、うまく泣けなかった。
あー、書いてて思い出して泣けてくる。
なにが言いたいかっていうとね。
その書いた戯曲は、文江おばあちゃんのことを書いたわけではないし、別に事実に基づいた話でもない。完全なフィクション。
それでも、なぜかその戯曲は、おばあちゃんに向けて書いた戯曲な気がしてならない。
私はやっと、
ごめんね
愛してくれて、ありがとう
が言えた気がした。
私たちは、とても身勝手で自己中心的な生き物だけど、、、うう、ごめん、言葉が見つからない。
でも、もう一度会いたい人がいて、伝えたいことがあって、生きていくよ、というラブレターを書きたくて、歌ったり踊ったり演じたり、懲りずに作品をつくったりするのかな、と思ったのです。
ただ、それだけ。