はい、まるで知り合いのおじさんかのようなタイトルですが、大大大好きな作家さん、村上春樹さんについて、です。
賞についての話が出るたびに、私は自問しました。このような時期にイスラエルを訪れ、文学賞を受賞することは適切なのだろうか?これが、紛争の一方の側に味方する印象を造らないだろうか?圧倒的な武力を解き放つ選択をするという政策を支持することにならないだろうか?もちろん、このような印象を与えたいとは思いません。私はいかなる戦争も反対ですし、いかなる国も支持しません。また、同じように自分の著作がボイコットされるのも本意ではありません。
しかし、じっくり考えた末に、結局は来ることにしたのです。こう決心した理由の一つは、あまりにも多くの人に来るなといわれたことでした。恐らく、多くの作家がそうだと思いますが、私は他人に言われたことと反対のことをする傾向があるのです。もし人々に「行くな」とか「するな」と言われたら-特に、脅されたら-私は行きたくなるししたくなる。これは、私の、言うなれば、作家としての習性なのです。作家とは特異な人種です。作家は自身の目で見、自身の手で触れたもの以外を完全に信用することができません。
だから私はここにいるのです。留まることよりもここに来ることを選びました。見ないことよりも自身の目で見ることを選びました。口を塞ぐことよりも、ここで話すことを選びました。
(中略)
もし、硬くて高い壁と、そこに叩きつけられている卵があったなら、私は常に卵の側に立つ。
そう、いかに壁が正しく卵が間違っていたとしても、私は卵の側に立ちます。何が正しくて何が間違っているのか、それは他の誰かが決めなければならないことかもしれないし、恐らくは時間とか歴史といったものが決めるものでしょう。しかし、いかなる理由であれ、壁の側に立つような作家の作品にどのような価値があるのでしょうか。
このメタファーの意味は何か?時には非常にシンプルで明瞭です。爆撃機や戦車やロケット、白リン弾が高くて硬い壁です。それらに蹂躙され、焼かれ、撃たれる非武装の市民が卵です。これがこのメタファーの一つの意味です。
しかし、それが全てではありません。もっと深い意味を含んでいます。こう考えてみてください。多かれ少なかれ、我々はみな卵なのです。唯一無二でかけがいのない魂を壊れやすい殻の中に宿した卵なのです。それが私の本質であり、皆さんの本質なのです。
(中略)
私が小説を書く理由は一つしかありません。それは、個々の魂の尊厳を浮き彫りにし、光を当てるためなのです。物語の目的は警鐘を鳴らすことです。システムが我々の魂をそのくもの糸の中に絡めとり、貶めるのを防ぐために、システムに常に目を光らせているように。私は、物語を通じて人々の魂がかけがえのないものであることを示し続けることが作家の義務であることを信じて疑いません-生と死の物語、愛の物語、人々が涙し、恐怖に震え、腹を抱えて笑う物語を通じて。これこそが、我々が日々、大真面目にフィクションをでっち上げている理由なのです。
ええのう。。涙出る。他にも名言たくさん。
死は生の対極としてではなく、その一部として存在する。
(ノルウェイの森)
インターネットで「意見」があふれ返っている時代だからこそ、「物語」は余計に力を持たなくてはならない。
(朝日新聞)
この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生は)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。
(村上ラヂオ)
女性は怒りたいことがあるから怒るのではなくて、怒りたいから怒っているのだ。そして怒りたいときに怒らせておかないと、先にいってもっとひどいことになるのだ。
(遠い太鼓)
↑これな。笑
どんなことでもそうだけれど、結局いちばん役に立つのは、自分の体を動かし、自分のお金を払って覚えたことね。本から得たできあいの知識じゃなくて。
(スプートニクの恋人)
僕らはとても不完全な存在だし、何から何まで要領よくうまくやることなんて不可能だ。不得意な人には不得意な人のスタイルがあるべきなのだ。
(村上朝日堂はいほー!)
私たちがまともな点は、自分たちがまともじゃないってわかっていることよね。
(ノルウェイの森)
村上春樹 名言 で検索すると色々出てきます。
あとね、「そうだ、村上さんに聞いてみよう」っていう、読者の質問にひたすら答えた本があるんですが。これね。
これかなりくだらない(失礼)問答が多いんだけど、たまにぽろっと泣いてしまうようなことが書かれてて不意を突かれます。例えば
「愛し愛されることは人生で大切か?」という質問に
「僕にはよくわからないのですが、もし人を愛したり、人に愛されたりすることが人生で大事なことではないのだとしたら「人生にとって大事なこと」っていったい何なんでしょうね?僕にはちょっと想像できません。」
みたいなのがアホな問答(失礼)の合間に不意に挟まってて、泣かせられる。
心が弱ってるときの私は、よく村上春樹のエッセイを開きます。
じわぁーっと効く薬。
あとなんかさ、一人っ子特有の孤独癖?というのかな、寂しがりやの1人好きみたいな感じがちょー好き。
私、一人っ子の人好きなんです。
あー小さい頃からひとり遊びめっちゃしてたんだろうなーみたいな。
妙に惹かれる人、ひとりっ子率高い。
そんな感じで。(どんな感じで
ノーベル文学賞とかぶっちゃけどうでもいいので、村上さんがこの先1文字でも多く文章を残してくれますように。
あなたの作品に救われた人がたくさんいます。
私もその1人です。
愛を込めて。
二児の母より。