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私は、これが一時的な産後うつとか育児疲れとは違うとどこか本能で感じました。

そして、押さえ込むのはやめようと思いました。

自分の中の膿のようなものを出し切ってしまおう。そう思いました。


そして、まずしたことは、

自分のためにお金を使う

でした。


はるを身ごもってから今まで、できなかったことでした。そんなにも、がんじがらめになっていたんだと、自分でもびっくりしました。

子どもができたのに、お母さんになったのに、まだ自己投資するなんて、、、
お金になるかもわからないのに、、、
これから子どもにお金がかかるのに、、、

そんなことがぐるぐるしていて踏み出せなかったのです。



はるを妊娠中から、ずっと興味があったヨガの資格を取りました。


ヨガの勉強は興味深かったし、単純にこんなにも自分の身体を酷使していたんだ、と気付けました。


でも、私はすぐに気づきました。私に必要だったのは、ヨガの資格をとる、ということではなく、自分のためにお金を使う、この行為でした。その時の自分にどうしても通過しなければいけないことだった。


そして、それと同時期に、実家のお寺で何かをやろう、と思いました。

それまでの私は、ここに私のやりたいことはない、ここじゃないどこかにあるんだ、と思っていたように思います。

でも入院して、出産して、大きな怒りが私の中を通り抜け、気がつくとお寺の菩提樹の大きな2本の銀杏の木が、やたらと騒いでいました。

真夏で、葉が生い茂り、きらきらと輝く季節でした。

あ、ここに全部あった、と思いました。

ここというのは、たぶん自分の中だったんだと思います。

次男の妊娠出産が引き金になって出てきた膿を見つめていると、そのまた奥からコポコポと湧き出るものがありました。詰まっていたものが取れたように。

そして、やりたいな、ではなく、人が集まっている景色が見えました。
いとも簡単に、想像できたということです。
想像できるということは、創造できる。


次は、少しだけ回想っぽくなります。

つづく。