「平和・文化・教育の民衆運動に」
この師の弟子として、60年前、私は、「化儀の広宣流布の一歩前進への指揮を執る」と宣言しました。
そのために億劫の辛労を尽くしゆく真剣な祈りを重ねました。
恩師から託された構想を実現していくために走り続けました。
それはやがて、「化儀」すなわち現実社会への具体的な展開となり、あらゆる次元での人材の活躍へと広がったのです。
顧みれば、会長就任前の4月5日、私は土地の検分のため、東京・小平に足を運びました。
武蔵野の天地には後に創価学園が、そして創価大学が建設されていきました。
就任直後の7月16日には返還前の沖縄の天地を訪れ、二度と戦争を起こさせないとの誓いを同志と刻み、10月には世界広布の扉を開くために、北南米3ヵ国に飛びました。
翌1961年には、仏教発祥のインドをはじめアジア各国を歴訪する中で、後の東洋哲学研究所や民主音楽協会(民音)の構想を広げ、さらにヨーロッパ訪問の際は、美術館建設の夢を抱きました。
東西ドイツの分断を深めた「ベルリンの壁」の前で、平和統一の未来への展望も語りました。
それらは、全て今日、世界各国で推進されている「平和」「文化」「教育」の創価の民衆運動に直結しています。