このところひたすら会議やら入学説明会やら卒業式に向けての資料作りに追われていました
とりあえず終わりました!!
がんばりました
入学説明会の資料は同僚のママ先生にめっちゃわかりやすいとほめていただきました!
一年生の担任を何回もしたから保護者の不安な気持ちはよくわかります
卒業式の要項は昨年度、いきなりの休校で苦労した経験をフルに生かしました!
係分担なども色んな学年を経験させてもらっているので、動きが予想できます
今まで色んな経験をさせていただいたのが、教務になってものすごくいかせています。
ある方には天職じゃない?なんて言っていただきました
わたしには色々言いやすいみたいなので、先生方の意見を吸い上げてまとめるのは得意な方だと思います。
でも、やっぱり色々言われると構えてしまうのです
昨日もある不満を聞いていたのだけど、何だか私が責められているような気がするんです。
会議での意見も自分が責められているように感じてしまいました。
これって、自分の受け止め方の問題で、私はすぐに責められていると感じてしまう癖があるんです。
これは小さい頃の記憶にも影響していて、母に認めてもらえない自分はダメだ、私が母を悲しませているんだと勝手に罪悪感をもってきたんです。
教師になってからも、
子どものせいにしてはいけない。
先生で子どもは変わる。
先生が変われば子どもが変わる。
そんなことをずーっと思ってきました。
なので、よかれと思って言われたことさえ、自分を責めることに使ってしまうという
どんだけ自分に意地悪で、どんだけ歪んでいるんだろう
今まで素晴らしい経験をいっぱいさせてもらって、私を成長させてくれた周りの人に対して本当に失礼でした
そして、自分に対しても
ものごとは
愛でみるか、怖れでみるか。
この二つしかないように思います。
愛で見ると、愛しかない。
怖れで見ると、怖れしかない。
私に意見をしてくる人は私を成長させてくれる人、
よりよい解決を示唆してくれる人。
次から次にくる仕事は、私のキャパを広げてくれるもの。
職場や子どものトラブルは私の力を発揮できる機会。
怖れのメガネを外したら
愛しかないですねっ
勝手に決めつけて、勝手に怖れているのは自分なんですよね。
愛で溢れた毎日に感謝です