近隣やこの町は上品ではない。むしろ人情っていう看板を掲げただけの薄っぺらい関係しかない。
すべては利害関係ありき。で動いている様な気がする。
まずよそ者を観察。うざいならそこから結託し陰口発動。本人がどんな人間かをよく知ろうともせず、勝手に判断。
そこからよそ者が反応しない、もしくは普通に生きていたら被害妄想が生まれ、妬み嫉みで攻撃するか陰口。
暇か。と思う。
情報を仕入れる、それが楽しくなくてもただの聞きたがり。
暇かと。いまだに時々苛立ち仕返ししてやろうかと思ってしまう。時々、時々。
以前はこんな風には思えなかった。
同じ土俵と言われればそれまでかもしれないが、
嫌な気分はもちろん、人目を気にせざるを得ない様な生活だ。
簡単に言えば、壁に耳も障子に目もある状態で24時間監視されている感覚。
今でも吐き気はするし、寝込んでしまうこともある。休息の時間なんてものは家にない。
結局近隣の静かな時間に合わせなくてはならないのだ。
もう個人とか自分の気持ちに正直とかの正論はもはや通じないのは当たり前。
その日暮らしっぽい日常。そら腹立つし人目気になるってば。人権侵害かっと思い詰める日もあるし。
余裕なくなるんだよね~この家。仕方ない。引っ越しまで待つしかない。
しかし最近になって思う。
暇な人間は成長が止まっているのだ。
それだけ自分に関心ができなく、向き合えない=それまでしかできない人間なのだ。
同じ状況の他人がどう思うかはわからないが、
少なくとも私はもっと成長がしたいのである。
成長が止まっている者に用はない。
勝手にやってくれ、その代わり領域犯したらそれ相応の対応はするからよろしく。である。
余談だが人の家の樋を壊して謝罪なく見て見ぬふりってどうよ。裁判したら勝てますよーー。
証拠はあるんだから。
それ相応の因果応報を望む。やっぱ因果応報は時差があってもあると信じているし、それなけりゃ困るぜ。
戻るが、近隣の状況は今でも変わらず。
相変わらず、朝、夕は必ず家の前で話してコミュニケーション。
群れている自分らに安心している状態。情報は聞いておかないと、生き延びられないってやつか。
正直生きてきて、情報に執着しないほうが情報入ってくる、しかも正確な情報が。
毎日安心できない生活はこちらにもあるが、おそらく心底安心できないのは彼等ではないかなと思う。
だって覆されるんだもん、そんな生き方は。
まぁ私は私、あなたはあなたっていうグローバル化になっておりまして、
人の縁なんて人情なんて一握りだし、愚直に努力してもそれに遭遇するかなんてたまたまだから、
昔の遭遇率よりは低い。うらやましい思いだってもちろんあるし、いいなぁって思うけど。
まぁ以前は自分もそういうのがあるって信じてたしそう行動したけど、いいように使われて終わったもんなぁ
そういうのはあるだろうけど、自分自身に起こるのはまた別。
というわけで、結構せっこい人間が多く住む町でげす。一回この町の住人全員に聞きたい。
「本当に君たちはそれで幸せか?」
