思えばすでに波乱万丈な人生だった。
その中でもじたばたしてあがいて。
でも好きなことをしてきたと思う。
こんな環境だからむかしから厭世的で
「地獄は一定」
だと思うから、その分幸せも感じる。
その瞬間だけが生きている意味だとも思った。
幸せを感じるにはつらいことも必要だってこともわかる。
でもそれにしてもなかなかじゃないか。
いつ死んでも惜しくないと思って生きている。
むしろ楽につれていってくれたらいいのになあ~って思ってる。
死にたいわけではない。
延命治療もいまはしたいとはおもはないが、いざそんな時になったら苦痛の少ないほうをなるべく楽な方を選ぶと思う。
それが結果延命治療になったらそれはそれでいい。とにかく自分に甘い。
将来についてなんて考えられなかった。
考えたくなかったんだと思う。
将来のために努力したところでいつ発症するかわからないって
それが常に根底にあった。
将来の病気のために働いてお金を貯める人生なんていやだとおもった。
それでなんで生きていかなくちゃならないんだと。
今この一瞬を生きる
それで20代は生きてこれた。
なんとなく将来こんなことできればいいなあと
淡い期待の元趣味や習い事もはじめた。
こころの奥底にひっそりとかくして置いておくことができた
いろんな事たくさんあったけれど
思い返すと平和な日々を過ごせたのかもしれない。
とうとう大ボスと対峙する時期がやってきたのか。
もう逃げられないのかもしれない。
となると、私が今からできることとしたら
長い闘いに備えることしかないとおもった。
さして希望もなく、野望もなく、目標も作ることができずに生きてきた。
なんのために働いてるのかともおもった。
これからは自分の終焉を考えたときに助けてくれる人のために
できるだけのお金と、いろんな整理や準備が必要なんじゃないか。
人は生まれた時から死へ向かっている。
死ぬために生まれてきた。
先人たちが太古から唱えてきたフレーズ。
健康なときは通過する言葉達にハッとする。
死ぬまで精一杯生きるために。
だから
遺伝子検査ではっきりさせたいと思った。
気まぐれな希望と失望の繰り返しがつらい。
ならば覚悟して生きたいと思った。
でも
いざとなったらそんな覚悟なんか吹き飛んでしまうかもしれない。
グレーゾーンにしておけばよかったと思うかもしれない。
とも思う。
今一時的に行動することで何かが改善できているんじゃないかという錯覚
じっとしている自分の状況に耐えられないからかもしれない。
それもある。
いつ発症してもいいように準備しておく。
それはハンチントン病だけではない。
ほかの大病でも同じことではないか。
私は独り者なので何かあった場合母しか頼る人がいない。
母も還暦である。
姉の介護すら先が見えない。
十数年後母はどうなっているのだろう。
普通に考えて物理的な介護は頼めない状況だろう。
本来なら私が介護をしなければならない年齢だ。
本当に誰もいなくなったときにどうなるんでしょうね?
そんなことも含めて遺伝カウンセリングなるものがあるそうなので相談してみたいです。
とにかくそんな情報を集めて姉や自分に生かす!
それがいまからできることかな。
そしてできうる限りお金をためておくこと。
こうやって書いていくと一時的には考えが整理される。
よかった。
きっとまたいろいろきになって落ちてくんやろけど;;
それでもありがたい。