横浜美術館で今日から開催の束芋展へ。
残念ながら記者会見は見逃した。
まとまったカタチで彼女の展示を
見るのは初めて。
今回の展示は6点の
映像インスタレーション全て新作。
おもしろい!
展示のタイトルである、『断面の世代』とは
「団塊の世代」に対して、束芋の世代
(大雑把に1970年代生まれ)の
人々のことだそうだ。
右へ倣えの、大きな塊になることによって世の中を大きく動かし、
後世にも影響を与えた世代に対し、束芋世代は個に執着し、
どんな小さな差異にも丁寧にスポットライトをあてる。
大きな塊の中の一点として自分の存在意義を見出し、その大きな
塊の成した功績を自分のものとして感じるよりも、彼女たちは一つの
存在としての機能の功績を重んじる、とのこと。
日常の何気ない対象物が彼女の独特の視点や表現によって、
新たなものへと変えられる。
足から無数の指が生えていたり、かわいらしい取っ手がついた
タンスから伸びる生生しい足やまとわりつく長い髪。
Blowという映像インスタレーションが特にお気に入り。
くねりと曲がった脊椎に筋肉とも髪の毛とも区別がつかないものが
絡みつき、足元にあぶくをつくりながらくねくねと泳いでいる。
やがてそれは水面に上がると花をさかす・・・
観る者は作品の中に入り込めるようなつくりになっており、
まるで自分も水面下にいるような、あるいはその一連の動きを
俯瞰しているような感覚になる。
個の内側から外に向けて発散されるものを表現したい。
血肉のような物質的なものも、愛憎や憎しみのような不可視のものも、
個という袋に閉じ込められたものが外に放出されるとき、
閉じ込められていたときとは違った形に変化し、成長していく。
空気や光に触れ、水が与えられ、周囲との関係の中で刻々と
変化していく植物に例え、美しさだけでなく、艶やかしさや
毒々しさも表現する作品となることを期待している。
とは作家のコトバ。
私たちの心の奥深くにブラックホールに放り込まれた
コトバでは表現できないような感情、あるいは表現しては
いけないような感情があるきっかけで噴出し、
それが徐々にカタチあるものに変化していく様を
眺めているようでもあった。不思議な感覚、浮遊感・・
彼女の作品を見ていると作品に吸い込まれて
取り込まれてしまうような、あるいは作品に
積極的に入っていくことを選択しているのか
そんなかんじがした。
束芋の作品を見ているとアネット・メサジェや
鴻池朋子の展示をみたときのように、
カラダの内臓をぐわっと鷲掴みされたような、
なにかズキンとくる衝撃を受ける。
血生臭さが漂っているような。
自分の内面の奥深いところに響きそうな展覧会であった。
また観にいきたいです。
おみやげにもらった展覧会カタログがかっこよかった。