今日は不思議な気分です。
東北、宮城県は南三陸町に行ってまいりました。
男旅でした。 オヤジとオレと二人です。
多分、カンタの話の後にオカンに話したのを聞いてたんだろうね。
あとはこどもの日だったからかな。
自宅から目的地まで約400km 往復800km 合計約10時間
長かった。 途中で寝てたりもしたけど。
最初は牛タン食いに行くんだと思ってた。
でも、仙台を通り過ぎて、聞いたら南三陸いく。といって行かされました。



現実です。
小さな道路を2~3km ほど進むと
最初に見えたのは林の中にゴミがありました。
ビールを入れるプラスチック製の容器が枝に吊るされてました。
そのまま数分走らせると、今度は車の山。
全てぺちゃんこになってました。
そこの近くに仮設住宅を見つけました。
まるでブロックのおもちゃで作ったような家で、そこから人が、ご老人が
その近くにある、これも、仮設住宅と同じつくりの商店街に歩いて行くのです。
その商店街を尻目に見えたのが、
防災無線をずっと発信し続けた場所です、。
鉄骨だけの建物は淋しいというか、恐怖を感じました。
そこには花や、仏像が備えられていて、近くに車を止めて行ってみれば
線香がたいてあり、さしてた容器いっぱいの燃えカスが風に吹かれるたびに
飛んでいきました。
そこにはずっと警告し続けた女性の生き様が書いてある本が有りました。
無線を見つけたとき
日本テレビの人にインタビューされました。
高校生であるオレから出た言葉はバンキシャでやるかもしれないっていわれました。
できれば流して欲しい。 だって、ほかの人もそうだけど
厳選してたら意味がないもの。 憤りを政府に感じる と言いました。
潮風が心地いいのに、
空は綺麗だったのに、
周りは家の跡。 コンクリートには粘土に鉛筆を指したような穴が。
電信柱は倒れ、電線もそのまま。
そこで感じたことは、恵まれすぎてる。っていうこと。
かんたの行動がすごいってこと。
そのあと、ある施設の前ではガレキ撤去のボランティアをしてました。
橋は、手すりが全て曲がっていて
防波堤はその”跡”、 つまりはコンクリートしか残ってませんでした。
そのあとも、高台から見たとき。
あんなに綺麗な海が こんなことをしたなんて考えられないくらい
本当に綺麗な海でした。
人間は自然を食い潰しすぎてる。 自然の力は防ぎようがない。
強度を数値化しても、自然を数値化してみてたところで到底かなわない。
映画のワンシーンで車が爆発したり、無残な姿になる
あれがどんなに些細なことに思えるか。
ある軽トラックは、180°車体が捻じ曲げられ、フロントガラスには見たくもないような
ものが沢山ついてました。
絶句です。 言葉が出ません。
酷い。 なんて言葉で片付けられるほど生易しいものじゃありません。
そこで笑ってる人たちは本当に強いひとです。
いろんな人たちが来てました。
みんな最初は色々な表情でしたが
帰り際になるとみんな同じ顔。 こわばってる、もしくは、悲しい顔です。
たしかに1年たちました。
でも、復興は進んでる、とは思えない。 そのぐらい酷い、
進んでるのは形而上ではないく形而下の話。
政府は視察に来てもわからないのか。
あんなにひどかったのになんですぐに行動できないのか。
今はそんな下らない事しないで、
あの人たちのためになるようにしなくちゃいけないんじゃないの?
みんな死んでるんだよ。
放射能とか関係なく、オレは薄着で半袖、ハーパンで立ってました。
少しでも多くのことを肌で感じれるように。
みんな長袖でした、
こんな格好してるのは俺だけでした。
あそこにいて感じないの?
言葉にできないけど、画面、写真、音
なんかよりも現地に立ち、その土地の土を踏みしめ
その目で焼き付け、配置されたものや残酷な風を聞いて
まだ残ってる現実を吸い込んで、悲しみを口に溜め込み
現状に対する無力さからくる怒りをはきだしてきた。
なってからじゃ遅い。でも、予測は出来ない。
事実。現代科学じゃどこまで予測できるかは
過去のデータからしかわからない。
だったら、なってからの対応を考えようよ。
避難経路。 想像できる限りでのあらゆる事故を想定した原発。
責任逃れする幹部たち。 生き地獄をしてる一般人たち
責任者なんて必要ない。必要なのは先導者だ。