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NATプロジェクト のブログ

それぞれの夢を追うNATメンバーの日々

この一週間、休みをもらって、

広島の家族と、関西の友人に会ってきた。


3年前の大学4年の卒業間近、

それまでの10年の人生が空白になった。


中学2年の時に、数学者になると決めて、

そのためだけに生きていた。

その夢が偽りの夢だと気付いたのだ。


うすうす、自分では気づいていた。

でも認めたくなかった。

認めることが怖かった。

しかし心と体が悲鳴を上げていた。

認めざるを得なかった。


自分を偽って生きるということは

自分以外のすべての人を偽って生きるということだ。

家族が家族でなくなり、友人が友人でなくなる。

究極の孤独。


見かねた父親が、知り合いの牧師さんが

広島の三好で共生庵というのをしているから

そこで休んでこい、と言った。

二つ返事で行った。


そこで、息子さんが関わっている関西NGO大学という

市民講座の運営委員の人たちと知り合った。

関西NGO大学というのは、自立した市民を増やすことを

目的とした市民講座だと僕は捉えている。


また、運営委員の一人が京大の事務で働いている人で、

社会学の先生が聖書研究会というのを開いているから

それに出てみたら、と誘ってくれた。


大学院には受かっていたので、

とりあえず京都に出ることにした。

広島を離れたかった。


京都での一年目は、まだ学問への憧れを捨て切れず、

教養の授業に出て、そこで知り合った経済学に興味がある

学生と一緒に勉強会をしたり、聖書研究会に出たり、

関西NGO大学に出たりしていた。


でも本当はもう勉強なんかしたくなかったので

内心は苦しんでいただけだった。


二年目の4月から、PHD協会という

神戸にある国際協力のNGOにボランティアとして

通い始めた。

8月に、そこが主催しているインドネシアのスタディーツアーに行き、


そのまま2週間ほど現地に残った。

そこで知り合った現地の女性に恋をした。

電話番号を交換した。


日本で僕はほとんど何もしていなかった。

電話で話すことがない!

そこで、飲み屋と某大手衣料品店でアルバイトをすることにした。

初めてのアルバイト。

怒られてばかりで全然楽しくない。

なんで働くかもよく分からなくなった。


5月ごろ、このままアルバイトを続けても仕方ないなと思った。

NATのことは、ブログ「本やりcafe」で知っていた。

徹夜でスターウォーズを観たというのが印象に

残っていて、いいな~と思っていた。

行くなら今だ、と思い、バイトを辞めて来た。


京都での2年間は、ひたすら辛かった。

人に会うたびに、「僕はこんなに辛いんだ!こんなに不幸なんだ!」

と叫び声を上げていた。

そんな中でも、僕のことを暖かく見守ってくれた人たちがいた。

彼らのおかげで、ぼくは京都で生きていけた。

でも、言ってしまえば、依存していただけだ。



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関西から離れて、初めて彼らの本当のありがたさに気付いた。

素晴らしいひとばかりだ。

彼らに出会えたことが、僕の空白の10年を肯定してくれる。

今回も彼らに助けてもらった。


「覚悟が足りん!」

「一つのことを究めている人ほど、

新しいものに触れたときに深い理解がある」

「やりたいことをするためには、やりたくないこともしなければならない」

「未来に向かって今を精一杯生きることで

過去の意味も変えていける」

彼らが僕に言った、印象に残った言葉。


いつか恩返しがしたい。


25日に、大学祭で、

大道芸人で数学者のピーター・フランクルが

「人生を楽しくする方程式」

と題して講演をした。


そこで心に残った言葉。


「人生の主人公は自分。少なくとも他人ではない。」

「大切なのは自分の頭と心。それだけだ。」

「時間を自分のために使おう。」

「人生の設計士になろう。」

「メリハリをつけよう。」



今回の旅で見つけた、新しいテーマは

「なりたい自分のイメージを具体的に固めて、それに向かって動いていくこと」

キーワードは「積極性」と「具体的に」


職業については、

愚直にも、サイト「13歳のハローワーク」に

載っている、「あ~わ」までの職業からなりたいものをリストアップし、

しぼりにしぼった結果、次の職業が残った。


服をつくる

帽子をつくる

靴をつくる

糸を紡ぐ

パティシエ

美術造形

照明スタッフ


これから、学校に聞きに行ったり

人に会ったりしながら、イメージを固めていきたい。



ハイジ