私の「つかず離れず」

「つかず離れず」について考えます。 

                  ※Yさんは実在してない架空の人です

被保佐人のYさんとはもう8年の付き合いになります。

昨年何回目かの長期入院を経て、在宅となりました。もともとアパート暮らしをしていたのですが、病状の管理ができず、今回は自立型グループホームによる生活を退院の条件として地域生活へのお手伝いを始めることとなりました。

 

同時に日中作業として就労継続B型作業所「〇〇作業所」というところを紹介してもらいました。そこは調理もやっていて「大福餅」などを作って販売しているということで、本人、少し調理ができるということもあって、期待に胸を膨らませ見学に行き体験も行いました。

私も見学に同行して、その作業所の雰囲気はとてもいいんじゃないかって思いましたので、つい「良い評価」を口にしてしまったのです。

 

忘れていました。

「良い評価」を私がすると本人は必ず行かないか、決めるのをやめることを。

 

本人は私の作業所への「評価」を断る理由に使ってしまうというところがあります。私の評価とは逆のことを主張し、騒がしい作業所は自分に合わないなどと、およそ裏腹の行動を取る傾向があったのです。

振り返ってみればいくつもいくつも作業所やデイサービスセンターなどを相談支援事業所から紹介してもらいました。

こちらから申し込んでおきながら、大方1度目が2度目でこちらから断るのでした。

 

今回の「〇〇作業所」見学でも、うっかりと私が作業所を評価してしまったのです。和気あいあいと利用者さんも楽しそうにやっていたので、そのことをつい褒めてしまったのです。案の定、彼は2日目の作業体験を終える頃には、もうここはダメだという結論を出しており、結局は行かなくなりました。

忘れていたのです。こういったこと繰り返していたことを。

 

数日して、次に相談支援専門員より紹介してもらった作業所が「デイサービス△△」です。

私は実はこことは古いお付き合いがあるんですが、今回はその作業所をあまり知らないことにして、作業内容には関わらないようにしてみました。

 

本人に仕事探しを任せて1ヶ月ぐらい経った私の訪問面談です。

案の定というかいつもそうだったように、そこへ通うことのバカバカしさや給料が安いとか、愚痴のような話をしてきました。

本人は続けます。

「仕事をやろうとしても作業を邪魔がする人がいるのでダメだ」「それを平気で放っている職員がいて仕事にならないから困る」などと主張します。そういうことを言って辞めたいアピールっていうか、「じゃあ辞めたら」と言ってもらいたいっていうか、そういうニュアンスの本人の言葉が並んだ定期面談が始まりました。

 

でも今回は「ふうん、そうですか」とあまり取り合わず、作業所を評価もせず、また彼の言うことを鵜呑みにすることもなく、ただただ彼の主張を聞くことにしました。聴くではありません。

面談の終わりころ、本人はやや不満を残したかのように質問を探しました。見つけた質問は全く別のことで、いつまでにやってくれるのかとマウントを取りに来るような質問です。

それらに返事をして、職場探しに話を戻しました。

 

「ゆっくり焦らずに行きたいところを決めればいい。次の訪問日にまた聞かせてもらいます」

と面談を終えました。

 

それからしばらく介入しないということを続けた結果、本人は「デイサービス△△」を選択し通い始めたのです。現在5か月目に入ろうとしています。週三日程度の通所を続ける一方でもう辞めると面談の度に口にしますが、保佐人と出会ってからの8年間で初めての「通勤」です。

 

「つかず離れず」というのはどういうことでしょうか。

被保佐人Yさんの場合、依存関係にあることは保佐人としての不徳の致すところですが、そういう気持ちをこちらが安易に受け止めない、ある意味聞き流す、あるいはやり過ごすということと考えます。決して過剰に反応しない。あるいは反論しない。あるいは肯定しない。そういう態度で臨むということでしょうか。

 

やはり病気のこともあり、もともと依存的な側面が強いですが、支援者はそれを親心のように包み込まないことです。相手は常に自立と依存の間を行ったり来たりしています。ずっと仕事を頑張って続けたいという気持ちと、今すぐにでもやめてやりたいという気持ちが同時に存在するのです。そしてそのいずれの動機や顛末も自分のせいにしたくなくて、お世話になっているあなたがそうさせているんだという、そういうスタンスを取り続けるのです。悪意や逃げではなく、それを狙ってそうふるまっているのでもない、本気なのです。

 

気持ちが両極端にブレてしまうというか、頑張りたいと辞めたい、信頼したいと拒否したい、という相反するものが同時に存在しているように感じます。とても辛いことと思います。

「つかず離れず」というのはそういう相手の思いを完全にシャットアウトするんではなく、少しは、2割か3割くらいか、あるいは彼が自分のしゃべったことを拒絶したと思われない程度のごく浅い、そういう理解の仕方をして見せてあげることです。上から言ってるのではありません。

 

そして決して包み込まない。あるいは誘導しない。あるいは支えない。あなたは自分で歩いてるんだよっていうことを、これ見よがしに言わない、ただ少し離れていつも見ているという、そういう存在であるべきなのかな、ということです。

 

「つかず離れず」。なんか簡単な言い方ですが、なかなか伝えづらい言葉です。