早寝早起きしてできたのがこれ
自身が理想とする「親」を誰かに見出そうと、目上や実力者に期待していた。
正しさやさしさを持って教えて修正して導いてくれる、かなり雑な説明だが理想像。
社会に出て初めて自身が生まれたような感覚があったりしたのも、関係してるかも。
実の親から続く(血縁以外の偶然の連続の結果の)縁で巡り合った組織。
その中の社長や上司先輩、それらにそういう「親」の一端を見出そうとしていた。
ふと、実の親も含め、親代わり的な存在も居なくて、居るのは人間だと解釈できてしまった。
それは過剰な期待であった。
各々の状況の中で翻弄され、藻掻いたり苦しんだり逃げたり落ちぶれたり
他人を押しのけてでも切り開いたり、信じる正義を振り回したり。
そんな個人が親という立場にあったり、親代わりになれそうに見える立場にあったりしているだけ。
他人・子の気持ちや深層など分かる訳もなく、分かろうと言葉で探ろうともしてもすぐに限界に達して分からずじまい。
様々な媒体から得られる知識、自身の経験から織り重ねてきた思想哲学・・・
-?--否--->やさしさ思いやり強さ は発揮されず、
各々の人間の弱さエゴ正しさを周囲に誰かに当てている また、反射してたり投影してたりもしている。
「親」を見出そうとした人物に勝手に幻滅したり、厚い熱い気持ちが軽くなったり冷めたり、
見え隠れする所から構造を推察したりして・・・・「親」は居ないという感覚を重ねてきた。
それはそうと、その文脈なら自分も「子」ではない事になるのでは。
自身が人間として普通にありそうな子として親の愛情を受容する才能がなかったのは既に自覚できている。
それを踏まえると「子」なんて成立しないのだから、「親」も存在しない。実際親子関係は成立していない。
妊婦を見ると気分が悪くるし幼い子供の親子を見ると不安になる。才能が変異してる。
論理的に成立してしまった。
親を師と言いかえる方が良いか。自分の場合、親と師が接続されていて、師が親代わりに見えてしまう。
じゃぁ今後の行動・気持ちにどういうディレクションを加えるべきか?
気持ちを沈めた個人を作る練習を続けるのが平定と心の安定・・・できないけど努力しないと。
しずめ
今日は心を底に沈められていただろうか。
出来てる時もあったが、ダメな時もあった。
浮き上がってしまうと破綻に近づく気がする。
少なくとも後悔や苦痛が残って損する。
自身と世間の断絶に苦しんだり自己分析や自己嫌悪も、もうしなくていいだろう。
いちいち真剣に真面目に心でとらえたり解釈しようとする事すらばかばかしくかんじる。
人の心相手に、真面目に向き合っても無意味どころか有害。
ひとまず沈める作業を継続しておこう。
沈むきってる時は安定していた。
memo
比喩と言うか、主観的なイメージ表現。人間の習性がこう見える。
人間 社会で食人鬼な人間同士が食べあっている。
食ったり食われたり、餌食という立場の押し付け合い。
良い人も良い人を自認してる人も普通の生活の中で、ごく自然に他人を食いつぶしてる。
善意や正義感や悪意や楽しみたいとか色んな動機で、人を侵食・食い破ろうとする。
全ての人がそうである。
生きる上でのさがのようなもので、生理的な条件反射的なものに近いレベルでそれをしている。食われてる側も、状況や立場によっては食らう側に立とうとする。
食欲と同じレベルでその欲求・衝動がある。
日常で食らう側に立つ瞬間があれば、その立場に立とうとする。
うんざりする。
こんな人間の習性を見てたら、感動も見世物・偽物じみて、急激に感情が平坦になっていく。
人間に期待を持てない。
人間はそういうものだという理解があれば、人間として人間社会で生きてる不愉快さで苦しんでいても、納得や覚悟を少なくとも出来て、取り乱したものも取り繕うくらいはできるだろうか。