日々の営みというものは

いつもが完璧ではなく

むしろ矛盾した自分を垣間見ることの方が多かったりする

どんなに理想の私でいようと努力していようと

そこにいつも差異が存在していて

酷く自身を恨んだりするものだ


それは間違った数式のようなもので

どう願ったってイコールにはなりはしない



私たちは忘れている

理想を追いかけてばかりで、他人を追いかけてばかりで

日々の選択や言動、それらを軽んじている気がする


ヘミングウェイは

アウグスティンにこう言わせている。

誰だって自分の流儀に従って喋るのさ。


果たしてどうだろうか。

私たちは己の中に自身の流儀たるものを確立出来ているだろうか


それは誰のためでもなく、己のためにだけ存在するガイドラインで

他人への思慮からなどではなく

生き様なんだ

どのように歩き

どのように喋り

どのように愛すか


それは理想でなくていい

生を与えられたそのままでいい


こちらではそれが普遍的な価値として私の前を行き交っている


これはとても重要なことだ

自身の守るべき流儀さえも持たない己が、

いかにして個人としての人間になれるだろうか


もちろん卓越した個人への願望は悪いことではない

ただ、持つべくして持った肉体と、魂という名の自意識の中に、

この世界で守り抜くべき私たちを見つけたそのときに

私たちはまた一歩、この冒険の道を進めることになるのかもしれない



そんなことを考えている。