For emergemcy and poor English,
I don't translate it into English this time.
緊急なので今回は真面目です。
長いけど、最後まで読んで下さいね。
ロシアの大統領が国後島に来たとか。
でも、そこは日本の領土で、ロシアが不法占拠しているんだ。
北海道民として、いつかは伝えなければならないと思い、
資料は集めてある。
JR札幌駅南口
このすぐそばに、明治政府が建てた
旧北海道庁がある。
北海道は江戸時代に蝦夷地(えぞち)と呼ばれ、
函館奉行所が置かれていた。
北海道の開拓が必要であることは、
あの坂本龍馬たちも描いていた構図だ。
ちなみに攘夷の旗頭である新選組最期の戦いも函館であった。
明治政府は機能し始めるとすぐ北海道を開拓し始めた。
とはいえ北海道はなんて言ってもとてつもなく広い上、
ほとんど平野などない原生林で、
自分達で木を切り倒したりして切り開なければならなかった。
そこで明治政府は何をしたか。
大政奉還前の旧諸藩の地域から、半ば強制的に開拓民を移住させ
北海道の開拓に当たらせた。
明治政府はお金出してあげる余裕ないから、移住費は自費である。
旧北海道庁に、移住先が展示されている。
一部を紹介すると、
道南
奥尻島
道北
利尻、礼文
道東、及び歯舞、色丹、そして話題の国後島
択捉島
樺太
後にロシア大国の脅威が増したため、開拓と警備を行なう
屯田兵と彼らは呼ばれた。
忘れていけないのは、北海道にはアイヌという先住民族がいたことだ。
明治時代のロシアとの国境を示した図。
この後、千島列島と樺太をロシアと交換し、
全文見るには画像をクリックしてね。
国境成立。
日露戦争で勝利した日本は、南樺太を領土としてロシアから割譲を受けた。
これが第2時世界大戦前のロシアとの国境である。
太平洋戦争のとき、日本はロシアを相手にする余力がなかったため、
事前に「日露不可侵条約」を結んだ。
が、日本に原爆が投下され、敗戦が確実となると、
革命を終え、共産主義国となっていたソ連はこの条約を一方的に破り、
日本敗戦の一週間前に、連合国側に立ち、満州に攻め込んだ。
もっとも、米、英、ソで行われたヤルタ会談で
日本との戦争の長期化を恐れたアメリカが、
樺太と千島列島をやるからソ連、お前もナチスドイツとの戦争が終わったら、
日本を攻撃してくれとけしかけた。
ただ、
日本が降伏したら、軍事行動は止めろよと釘はさしていた。
日本は無条件降伏を求めるポツダム宣言を受け入れ、
8月15日の玉音放送をもって終戦を宣言、敗戦国となった。
1951年9月8日、サンフランシスコ講和条約に日本は署名、
これにより、日本は自治権が与えられた。
(参考:署名した国→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%B9%B3%E5%92%8C%E6%9D%A1%E7%B4%84 48ヶ国)
つまり国際的にみると、坂本龍馬が目指した新しい国、
つまり明治政府の時代以前から、この条約の発効に至るまで、
日本は国として認知されていなかったのだ。
これは、へ~の部分である。
さて、前置きが長くなったが、ここからが問題。
このサンフランシスコ講和条約に、中国とソ連は署名を拒否した。
共産主義国家だったから。冷戦の影響。
なので日本はこの2国と独自に平和条約を結ばなければならないという宿題が出た。
中国とは「日中平和友好条約」が結ばれ仲直りした。
問題はソ連である。
南樺太と千島を占領し始めた。
全文見るには画像をクリックしてね。
で、自分たちの昔の国境まで来たので、一旦引き返した。
しかし、アメリカが駐留していないと見るや、またやって来て
占領してしまった。
当時多くの民間人や学生が
鉄砲もって
戦ったけど、負けちゃった。
ソ連は参戦一週間で戦勝国となり、今でも大きな顔してるよ。
ソ連はドイツと戦うのに精一杯で、日本と戦う理由や世論はなかった。
けしかけたアメリカも悪いわな。
こういうの、漁夫の利を得るってのかい?
誰が何と言おうと、
北方領土は日本の領土だ!
日本に返せ!
※ソ連はサンフランシスコ講和条約に署名していないので、
日本とソ連(現ロシア)とは戦争状態が続いており、
南樺太も日本の領土だという説もある。
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長いけど、最後まで読んで下さいね。
ロシアの大統領が国後島に来たとか。
でも、そこは日本の領土で、ロシアが不法占拠しているんだ。
北海道民として、いつかは伝えなければならないと思い、
資料は集めてある。
JR札幌駅南口
このすぐそばに、明治政府が建てた
旧北海道庁がある。
北海道は江戸時代に蝦夷地(えぞち)と呼ばれ、
函館奉行所が置かれていた。
北海道の開拓が必要であることは、
あの坂本龍馬たちも描いていた構図だ。
ちなみに攘夷の旗頭である新選組最期の戦いも函館であった。
明治政府は機能し始めるとすぐ北海道を開拓し始めた。
とはいえ北海道はなんて言ってもとてつもなく広い上、
ほとんど平野などない原生林で、
自分達で木を切り倒したりして切り開なければならなかった。
そこで明治政府は何をしたか。
大政奉還前の旧諸藩の地域から、半ば強制的に開拓民を移住させ
北海道の開拓に当たらせた。
明治政府はお金出してあげる余裕ないから、移住費は自費である。
旧北海道庁に、移住先が展示されている。
一部を紹介すると、
道南
奥尻島
道北
利尻、礼文
道東、及び歯舞、色丹、そして話題の国後島
択捉島
樺太
後にロシア大国の脅威が増したため、開拓と警備を行なう
屯田兵と彼らは呼ばれた。
忘れていけないのは、北海道にはアイヌという先住民族がいたことだ。
明治時代のロシアとの国境を示した図。
この後、千島列島と樺太をロシアと交換し、
全文見るには画像をクリックしてね。
国境成立。
日露戦争で勝利した日本は、南樺太を領土としてロシアから割譲を受けた。
これが第2時世界大戦前のロシアとの国境である。
太平洋戦争のとき、日本はロシアを相手にする余力がなかったため、
事前に「日露不可侵条約」を結んだ。
が、日本に原爆が投下され、敗戦が確実となると、
革命を終え、共産主義国となっていたソ連はこの条約を一方的に破り、
日本敗戦の一週間前に、連合国側に立ち、満州に攻め込んだ。
もっとも、米、英、ソで行われたヤルタ会談で
日本との戦争の長期化を恐れたアメリカが、
樺太と千島列島をやるからソ連、お前もナチスドイツとの戦争が終わったら、
日本を攻撃してくれとけしかけた。
ただ、
日本が降伏したら、軍事行動は止めろよと釘はさしていた。
日本は無条件降伏を求めるポツダム宣言を受け入れ、
8月15日の玉音放送をもって終戦を宣言、敗戦国となった。
1951年9月8日、サンフランシスコ講和条約に日本は署名、
これにより、日本は自治権が与えられた。
(参考:署名した国→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%B9%B3%E5%92%8C%E6%9D%A1%E7%B4%84 48ヶ国)
つまり国際的にみると、坂本龍馬が目指した新しい国、
つまり明治政府の時代以前から、この条約の発効に至るまで、
日本は国として認知されていなかったのだ。
これは、へ~の部分である。
さて、前置きが長くなったが、ここからが問題。
このサンフランシスコ講和条約に、中国とソ連は署名を拒否した。
共産主義国家だったから。冷戦の影響。
なので日本はこの2国と独自に平和条約を結ばなければならないという宿題が出た。
中国とは「日中平和友好条約」が結ばれ仲直りした。
問題はソ連である。
南樺太と千島を占領し始めた。
全文見るには画像をクリックしてね。
で、自分たちの昔の国境まで来たので、一旦引き返した。
しかし、アメリカが駐留していないと見るや、またやって来て
占領してしまった。
当時多くの民間人や学生が
鉄砲もって
戦ったけど、負けちゃった。
ソ連は参戦一週間で戦勝国となり、今でも大きな顔してるよ。
ソ連はドイツと戦うのに精一杯で、日本と戦う理由や世論はなかった。
けしかけたアメリカも悪いわな。
こういうの、漁夫の利を得るってのかい?
誰が何と言おうと、
北方領土は日本の領土だ!
日本に返せ!
※ソ連はサンフランシスコ講和条約に署名していないので、
日本とソ連(現ロシア)とは戦争状態が続いており、
南樺太も日本の領土だという説もある。