鳥取市国安にある「有隣荘」



有隣荘の名前の由来・・・



子曰く、徳は孤ならず、必ず隣あり「論語」里仁篇より

人柄の良い人は決して孤独ではなく、必ず隣人ができる。といった意味です。



鳥取市の名誉市民で、県・政財界の巨星と言われた簡堂こと米原章三翁(よねはらしょうぞう)が、晩年に愛した憩いの場所がこの「有隣荘」です。
日ノ丸自動車の創設をはじめ、次々に事業を興し、貴族院議員としても多くの人々の声望を集めた翁の生涯を顧みるとき「有隣荘」の名はまことにその人柄をあらわす命名であったと思われます。



昭和三十六年、米原家の所有となるまでは、有隣荘は「西尾邸」として知られていました。国安の西尾家といえば因幡でも屈指の大庄屋で、当主は代々「勘兵衛」を名乗り、その祖先は稲常の城主・西尾伯耆守といわれます。



国安は豊沃な土地で、良質な米を産出しましたが、度重なる千代川の氾濫により、平安時代以来、集落が何度も移動しました。
西尾邸も、もともとは今の国道五十三号線と千代川の間の水田地帯にありましたが、大正七年の大水害の際に移転し、現在の場所に移ったものです。



新しい屋敷の建築には、先々代の西尾益蔵氏と先代の善孝氏が二代にわたって贅を凝らし、宮大工を呼び寄せ、調度品も京阪まで求めに出るなど、五年がかりの大工事であったといいます。



西尾邸を含む国安百二十戸の集団移転が完了したのは、大正十四年のこと。
翌十五年、移転を記念して建立された当時の首相・若槻礼次郎筆による碑が、近くの上国安公民館前に残っています。



広大な屋敷地の中央には、主屋と、茶室のある離れを斜めに重ねて、その前に池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)を配する。
 主屋は当地方に伝統的な間取りを伝え、庭に面した座敷には、落ち着いた上質な座敷飾りを備える。



 敷地前面には、仕切門及び塀で庭園を区切り、八坂山を借景とした豊かな庭園空間を演出する。
敷地背面には海鼠壁(なまこかべ)と赤瓦の屋根が特徴の土蔵が連続して並ぶ。
 敷地の正面には石垣と長屋門を配し、風格ある旧家の屋敷構えを引き立てている。
 このように、有隣荘は質の高い住宅建築だけでなく屋敷構えが良好に残されており、国の文化財登録基準「国土の景観に寄与するもの」として価値が認められた。



文化財の種別:有形文化財
区分:登録指定
種別:国登録有形文化財
分類:国登録の建造物
所在地:鳥取市国安
指定年月日:平成25年3月29日


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