鳥取市国府町や岡益にある「岡益廃寺跡」

石堂の周辺は白鳳期の岡益廃寺の跡といわれ、明治の頃までは古代寺院の礎石や瓦が散乱していたという。



石堂と廃寺は同一地域にあるため、「何らかの関連があることは間違いなく、石堂と廃寺が同一の時代に存在したとすれば、一体となって信仰の場を作りだしていた」とする見方もある。

岡益廃寺および石堂の崇拝の主体は武内宿禰とも、この地の豪族・伊福部氏の祖先とも言われるが詳細は不明。
岡益廃寺は9世紀には廃絶したと考えられている。 
その後、室町時代になって薬師如来を安置した寺として再興されたとする説がある。



安徳天皇陵墓参考地に指定されてからは、陵墓としての威厳を表すために基壇の周囲が掘り下げられ、古代の面影は失われてしまった。
礎石の一部は周辺の雑木林の中に残り、出土した瓦は長通寺に保存されている。


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