風水大作戦(後編)――百尺下の水を動かした「一介の主婦」の記録
「またマダムから、お呼びが掛かったわ」
母はそう言って、迎えに来た黒塗りの車に静かに乗り込んだ。
今回の行き先は、ただの社交場ではない。マダムと一緒にそこに待っていたのは、
日本財界の巨頭・豊田章一郎氏だった。
絶望の中の「泣き」
1997年当時、愛知万博の誘致は絶望的な状況にあった。
国際博覧会事務局(BIE)の空気は「次は北米だ」という流れで固まりつつあり、カナダのカルガリーが事実上の内定状態。
日本政府代表として奔走していた元NHKの磯村尚徳氏からも、あまりの劣勢に「泣き」が入ったという。
かつて名古屋は、1988年のオリンピック招致でソウルに手痛い敗北を喫している。あの時の、韓国による「お色気接待作戦」とも言われる猛烈なロビー活動に屈したトラウマが、地元財界には重くのしかかっていた。
「今回は、同じ轍は踏めない」
慎重を期す豊田氏と、地元のために動きたいマダム。
そんな国家規模の窮地に、なぜか「一介の主婦」である私の母が呼ばれる。それがいつものパターンだった。
母は、かなりの曲者だ。
当時、彼女は台湾の無極天元宮・黄阿老師の推薦を受け、
台北アンバサダーホテル(国賓大飯店)の風水顧問を務めていた。
マダムが竹中工務店で自社ビルを建てる際にも、実務的な打ち合わせの席にはなぜか母が座っていた。
そんな母が、沈滞する空気の中で放った「一手」は、あまりにも具体的で、あまりにも地政学的なものだった。
「フランスに、工場を作りなさい」
それが、後に語り継がれる「一発逆転」の種火となった。
1997年、モナコの奇跡
1997年6月、モナコでのBIE総会。
第1回投票で、日本(愛知)は下馬評を覆し、絶対有利とされたカナダを破った。
愛知の財界は沸き立ち、母の知人たちは誇らしげに胸を張った。
だが、この「奇跡」にはタネも仕掛けもある。
トヨタがフランス北部バランシエンヌに、欧州戦略車「ヴィッツ(ヤリス)」の生産拠点(TMMF)を建設すると正式発表したのは、万博決定から半年後の12月のことだ。
しかし、そのカードは、6月の投票の瞬間に「見えない力」として盤上に置かれていた。欧州連合(EU)の要であるフランスを味方につける。雇用と投資という、接待などより遥かに重い実利を突きつける――。
母が示したのは、国家規模のエネルギーを動かすための、極めて冷徹な「風水」だったのだ。
雑魚は踊り、水は深い
吉川英治の『宮本武蔵』には、こんな一節がある。
泳ぎ上手に雑魚は歌い、雑魚は踊る。
しかし誰が知ろう、百尺下の水の深さを。
誰が知ろう、百尺下の水の冷たさを。
万博成功に沸く世間という「波際」で、雑魚は歌い、踊る。
だが、その遥か深淵で、冷たい水の流れを読み、歴史の舵を切った者が誰だったのかを知る者はいない。
母は今も、自分が歴史を動かしたなどという自覚も興味も、一切持っていない。
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