今日は常滑西小学校の卒業式でした。


議会の担当委員長ということで挨拶をさせていただきました。


6年前は 本当にひとりで学校へ行けるかしら?って不安に思った保護者の方もいらっしゃったのではないでしょうか


でも今日はみんなの顔が すごく頼もしく、輝いていました。


今年度は 常滑西小学校と常滑東小学校の学区変更が実施された年です。


大きく環境が変化しました。


子どもたちは より良い学校にしようと さまざまなことにチャレンジしてくれました。


でも、時には


戸惑うことや、不安に思うこと、迷うこと、  様々な壁があったと思います。


そんな中、最上級生として 彼らはリーダー役として、まとめ役として力を発揮してくれました。


彼らにしかできない役割をしっかりと果してくれた。


頑張ってくれました。とても頼もしい存在です。


来月からは中学生。


自信を持って、夢と希望を持って前に進んでほしいと思います。




卒業おめでとう。 


そして


ありがとう











昨日 15日は岐阜駅で 6年前にキャンプ場で行方不明になってしまった児童の情報提供を呼びかける活動に参加させていただきました。




http://www.city.tokoname.aichi.jp/ctg/75110100/75110100.html



PTAの方たち、そのお子様たち、中学生の子たち、先生方をはじめ多くの学校関係の方々。


みなさん 本当に一生懸命 お母様や御親戚の方々と共に情報提供を呼びかけてくださいました。


中には本当に心から心配していただける方もいて、とてもありがたく感じました



私の娘も来月から5年生。当時のまなみちゃんと同い年になります。


わが身に置き換えて考えると・・・本当に・・・言葉にならない。



なかなか有力な情報がないまま月日だけが流れてしまっているけれど、きっときっと、みんなの願いが通じてくれると信じています。

昨日は 阪神大震災から20年。


犠牲になられた6434人の方のご冥福を心からお祈りいたします。




当時のことはよく覚えています。


発災時は会社の研修でトラックの助手席にいました。


私自身は渋滞中の橋の上ということもあり地震の揺れとはわからなったのですが、運転手さんが



「あっ 揺れた!」


その言葉で ああ地震なんだ と気づきました。


その後は情報が入るたびにこれはただ事ではないと。


その日以降、 


ニュースを見るたびに伝えられる犠牲者の数に 「もうこれ以上増えないでほしい」


そう思った記憶があります。



テレビニュースの映像を見ても現実のものと信じたくない気持ちでした。


当時神戸のポートアイランドに住んでいた友人に1週間たって電話がつながり


「冷蔵庫が飛んできた」との話を聞きました。




私の中では自然の恐ろしさを身近に感じる初めての体験でした。






新聞報道では災害援護資金の返済に苦しんでいたり、被災者の孤独死などの課題があるとのこと。


巷間よく言われる、災害に対する備えや自助・共助の仕組み作りも重要です。


広範囲にわたる備えや対応が重要だと改めて感じます。