炉基礎人のブログ

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忘れられる権利とは

ネット上の個人情報やプライバシー侵害情報、誹謗中傷などを「削除してもらう」権利のことを言う。

「削除権」「忘却権「消去権」といった呼称もある。

この忘れられる権利は、2012年にEUが発表した、比較的新しい規則である。様々な理由から生まれる、ネット上の自分の情報を「消したい」という思い。そんな時に、SNS等の業者に申請すれば、個人情報の削除を求めることが出来るというのがその「忘れられる権利」である。

 

 私はこの「忘れられる権利」は、知る権利よりも重要視するべきで、優先されるべきであると考えている。

 忘れられる権利は、知る権利と矛盾しており、忘れられる権利を認めた場合知る権利が侵害される。しかし、忘れられる権利というのは、個人が誹謗中傷などをされた場合、知る権利よりも勝るべきであると思う。誹謗中傷の他には、名誉棄損であったり、冤罪などの情報も含まれるだろう。それは確実に日常生活を送る上で不利になるし、社会的な生活が困難になる。ネット上に書かれたものが真実ではないのなら尚更だ。例え真実でなくとも、一度ネットの海に晒された情報は瞬く間に拡散されてゆく。それを止めるためには、少なくともその情報源は絶たなければならない。その時に忘れられる権利は保障されるべきだ。

 私自身もツイッターで誹謗中傷の被害を受けたことがある。そこに書かれていたのは真っ赤な嘘ばかりで、その嘘の情報を見た人達からも非難の声を受けた。全くの嘘であるにも関わらず、最初の書きこみから広まった嘘の情報はとどまることはなかった。それが嘘だと言っても既に広まった情報を正すことは難しく、結局私はアカウントを消すという手段を選んだ。消した後も「逃げた」と言われたり色々と誤解は残ったままだった。私がアカウントを消しても、書いた本人がその書きこみを消さなかった為いつの間にかそれが真実だということになってしまったし、新しくアカウントを作り直してもどこからかそれが知られ、再び中傷や嫌がらせを受けた。ツイッターには、迷惑行為をしている人を報告するシステムがあるが、実際、相当なことが無い限りはあまり直接的な措置を取ってくれない。そのことを思い出したときに、私は忘れられる権利が保障されていないなぁ、と感じた。現在はもうそういったことはないが、非常に辛い経験であったし、二度としたくはないと思う。あの時直ぐに消されていれば少しは状況が変わったのでは、とつくづく感じた。

 ただ一つ、知る権利を完全に無視するわけにもいかないだろう。あくまで忘れられる権利というのは、「個人の都合で情報を削除する」ものであるから、例えばそこに書かれていたものが真実だったなら削除すべきではないだろう。悪く言えば、情報を隠ぺい出来てしまうというのも問題点かもしれない。であるから、忘れられる権利が保障されるべき条件は、「個人の都合」ではなく「誹謗中傷」「名誉棄損」のみに限られるべきであると私は考える。知る権利と忘れられる権利は良いバランスで存在しなければならない。現実問題それは難しいことかもしれないが、誹謗中傷や名誉棄損で書きこみを消したいという要望があれば迅速に対応してほしいところである。