こんにちは黄色い花 こんばんは星

ご訪問いただきましてありがとうございます。

 

前からお読みいただいている方や

過去記事を読んでくださっている方には

繰り返しのお話になってしまいますが

喪失体験についてお話いたします。

 

私は喪失体験

(母の死、実家を失う、故郷を失う(震災)

仕事を失う)が次々起こったことで

その時は相当辛い想いもしましたし

しばらくは動けなくなりました。

 

それでも徐々に、前だったら挑戦しなかった

ようなことにも挑戦するようになりました。

 

それは、命があって、健康な身体があって

挑戦しない、出来ない理由はない!

そう思えるようになったからです。

 

母は脳梗塞で入院後、血栓が足に回って

壊疽を起こしたため、左足の太ももから

下を手術で切断しました。

 

当時は手術をすれば生きられると信じて

いました。

 

それでも手術そのものが、命に係わる

かもしれないもので、手術の同意書に

サインをする手は震えました。

 

基礎疾患として糖尿病があり

傷口が上手く塞がるかの心配もあり

また体力的にもで予断を許さない

状況でした。

 

手術後、傷口の回復の経過は良かった

ものの、片足になった母の姿を見るのは

切ないものでした。

 

もっと切ないのは、母が途方に暮れた目

で遠くを見つめる姿。

私はただ、寄り添うのが精いっぱいで

何か声をかけたのか覚えていません。

 

体調の回復を祈っていたものの

今度は右足にも壊疽が起こり

更には、肺がんが発覚。

 

足の切断手術をするという選択は

間違っていなかったのだろうか。

 

親子であっても、自分とは別な人間

足の手術のこと、命に係わることに

判断を委ねられるのは重責でした。

 

肺がんが発覚してから1か月後に

母は亡くなりました。

 

その後、家を失い、震災で故郷を失い

仕事を失い……

と続きましたが

 

足を失った母、それに対して

私には歩くことが出来る足がある。

 

この足で前に進まなきゃ!

 

時間はかかりましたが

やがて前に進めるようになる日が

やってきたのでした。

 

 

最後までお読みいただきまして

ありがとうございます。

 

また、お会い出来たら嬉しいです流れ星