こんにちは

ゼロからアーティストを目指すNarimo(なりも)です!

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Amebaブログでは、アーティストとしての日々の出来事、心の動きなどの道のりを綴っていきます。

 

今日のブログでは、前回の自己紹介の続きです!

 日本帰国

 

8歳の時に日本に帰国し、

いわゆる帰国子女になった私ですが、

初めての日本の学校に戸惑います。

小学校は、学年に1クラスしかなく20人しかいない田舎の学校でした。

 

イギリス在住時、ロンドン日本人学校という学校に土曜日だけ通っており、

そこでは文字の勉強したりしていました。

 

日本に来て感じたのは

「違う」ということに敏感なんだ、

みんなと同じようにしないとダメなんだ

 

ということでした。

ただ仲良くしたいだけだったけど、

仲良くしてもらうためにいい子になろうと必死でした。

 

一番衝撃的だったのは、

イギリスでは「日本人」として見られていたのに

日本では「外から来た人」になったことです。

 

自分がイギリスで感じていた

日本人というアイデンティティ

それが、あれ?と思った瞬間でした👽

 

すぐイギリスに帰りたいと思いましたが、

親にも迷惑をかけたくない、相談できない

という気持ちで、いじめがあったことも伝えられませんでした。

 

それからは、普通であろうとし、

自分の思ったことより、周りがどう思うかを重視しながら

暮らしていました。

人は慣れるんですね。その環境に。

いじめられないようになるべく目立たないようになり、

小学校高学年までになるとそんな気にしないようになりました。

 

 中学

 

中学からは、兄も通っていた私立の中高一貫の学校に通い始めます。

私は成績は良くなく、入学試験も「兄弟推薦」で入ったようなもの。

 

試験の後日、まだ合格の通知が来る前に

家に受験した中学の教頭先生から電話がかかってきて

「(お嬢さんの成績だと)正直、厳しいと思います」とw

 

父親も「そうですか」としか言えないw

私は横で聞いてて、「ふーん」としか思ってない。

自分の選択だと思っていないんですね。

 

ただキャンセルが出たのか、詳しいことはわからないけど

兄弟がいたことで私立の中学に入学することができました!

 

中学入って早々、学力テストでは

240位/250

250人ぐらい学年でいましたが、

下から10位ぐらい。(詳しい数は覚えておりません)

 

その結果に私は、

「私よりできなかった人が10人もいる!」

って親に自慢げに見せたのを今でも覚えています。

それぐらい自分は勉強できないということを感じていました。

 

その後、英語が科目に加わったことで開花し、

(英語はあくまでも話す言語だったので、勉強したつもりはなかったの開花と言えるのかわかりませんが。。)

学年の中で上位20位以内には入るようになりました。

 

そうなると親も大喜び。

私も親が喜んでいる姿を見て、喜び、

成績が良いと喜んでもらえるんだ!

という思いから

成績でいい順位を取ることを頑張り始めます。

 

この頃からでしょうか。

自分が好きなことより

数字で見てわかるいい成績を取るように頑張るようになったのは。

 

美術の授業が一番好きでしたが、順位が出るものではなく

何か成し遂げるものだと感じていなかったです。

 

ところで中学からの部活動はテニス部に入りました。

私が通っていた中学では帰宅部はなく、全員が部活に入らなければいけませんでした。

初め、私は手芸部に入ろうとしていました。

作ることが好きなので。

ですが、新入生歓迎会という1年生に体育館で部活動を紹介するというイベントで

テニス部は部活動紹介の時に、アヴリル・ラヴィーンのSk8er Boiを使ったのです。

 

懐かしのスケーターボーイ聴いてみてください。

 

私、これにはびっくり驚きましてw

英語がわかる人がいる!ただそれだけでテニス部に入部を決めましたw

 

小学校では、日本の生活に慣れるのに必死でしたが

私立の中学に通えたおかげで、

自分をどこから来たかということだけで否定する人に出会わなかったおかげで

性格が少しずつ明るくなったと思います。

 

みんなどこかから来ている子たちで元からの知り合いはいても少数で、

初めから排他的な考えを持った子たちはおらず、

この中学に来れてよかったな、と思いました。

 

次回は初めてのバレンタインについてお話しします飛び出すハート