生まれつきの特性や気質からの
聴覚過敏もあるでしょうけれど
他にも消すこと叶わぬもう一点が
私は某地方都市の予備校に通ってました。
この頃に男性には珍しいと言われる
摂食障害(拒食症)になり
そこから原因不明の全身の痛みに
関東の大学へ入学してからも襲われ続け
それは横になるだけでも自重で
沸騰した鉛が身体中を流れるような激痛で
日々止むことはありませんでした。
そして『都会生活』『キャンパスライフ』
『1人暮らし』といったものにも馴染めず
授業に出ることもままならず
どんどんと孤立を深めていきました。
自分が置かれた、この状況に
耐え切ることが出来ず
とうとう『自◯』を試みて
未遂に終わった直前くらいの時期の
出来事です。
ある日、新聞かテレビで
『落雷に遭って体質が変わり、人生も変わった男!』というのを見かけました。
(もちろん死ぬ確率のが高いのですが)
表面張力の日々への
一滴の何かでした。
あ、コレだったら誰にも迷惑かけないし
万が一の可能性で
人生が変わるかもしれないと
真剣に思いを馳せました。
暗雲が立ち込めて、雨がそぼろ降る
雷鳴の嘶く夕暮れ前に
合羽を着て松葉杖とともに歩き出しました
(もう、自立は無理になっていました。そして松葉杖を支える脇の下への自重による痛みを薬で麻痺させて、ひたすら耐える。それでも流石に傘を差すのは腕の痛みのため無理でした)
耳には栓代わりの脱脂綿を詰め
腕時計やブレスレットとかネジとか
ハサミや乾電池などの金属の類を
手当たり次第にポケットに入れてました
少しでも直撃しやすいように
突起建造物の全くない
だだっ広い畑の周りを
ひたすらに歩き続けました。
『雷さん、お願いやから落ちてください』
と念じながら
病んでいたと思います。
当然長時間は歩けず、そんなときは
ぬかるみの地面に座り込んでいました。
雨降りだからお百姓さんはいない
不審に思う人も
声をかけてくる人も
誰もいない
誰もいない
項垂れて、雨に打たれ続けていました。
何回か実行を繰り返しましたが
結局はただの一度も私に
雷が落ちることはありませんでした。
一度だけ、この地べたに座り込んでいる時に50メートル先ぐらいの大きな木に
落ちたことがあります。
聞いたことのない音と衝撃で
木は瞬く間に煙と炎に揺れました。
私は怖くなって、
その燃え始めた木が怖いのではなくて
この音を聞いて、この光景を見て
多くの人がここに
集まるんじゃないだろうか
そう巡らすと
堪らなくこの場所から逃げたくなって
私は雨に横爛れた身体を
松葉杖で懸命に立ち上がらせ
その場所から
逃亡をしました。
リアルでもバーチャルでも雷音を聴くと
雨煙る畑の景色と
臀部の浸る冷たさと
逃げ出してしまった自分の弱さを
鮮明に想い出してしまいます。
私は『雷の音』が苦手です。
あれから30年以上が経過した今でも