『昔の声』が邪魔をする。

これは本当に厄介で実物は存在しないのに
今においても身体全体、精神全体に
染み付いてしまってて
まるで『条件反射 』のように反応してきます


何か始めようとするとき
特に自分がやりたいと思う事をする時ほど
必ずと言っていいくらい聞こえてきます。


幻聴ではない、心の、そして脳からの声。

「絶対無理に決まってる」
「ダメ!ダメ!絶対にダメ」 
「あなたの為をおもって」
「言う通りにしてれば間違いない」
「他所様に知られたら恥ずかしい」

その言葉を発している時の表情、空気感が
小さな私の敏感過ぎる心を隅々まで抉った。


幼心にも、この人達はいったい
何にこんなにも怯えてるんだろうか?
というのは感じていました。

世間体だろうか?

両親ともに「学歴」が低かったから
『出来の悪い子供の親は、当然出来が悪い』
ということから逃れる為に
必死だったのかもしれません。

この人達も過剰すぎる承認欲求の中にいた。


そのうち親の感情や見栄が
自分の意志と混濁して

自分の本当に好きなこと、適したこと
気持ちが高揚することといったものが
皆目わからなくなっていきました。


それは今でもそうです。
『好きなことを仕事にしなさい』とか
『ワクワクすることをする』とか
ずっと理解できずに感じられずに
未だに生きながらえています。


私には子供はいませんが
もし、子供が社会に出て
生きづらくなることを望むのであれば
(そんな親はいないと思いますが)

子供が何かをやる前に
『絶対無理だから』と可能性を否定して
何でも事前にやってあげる。

これに『あなたの為なのよ』と付け加えれば
罪悪感を植え付けることもできます。
(※過干渉バージョン)

世間体からの『全否定』


これで子供は社会で生きていけなくなります
そのくらいの『昔の声』の存在
縛られる『鎖の声の存在』


ただ、私の場合は未熟児で他の子よりも
なんでも成長が大幅に遅かったから
もともと心配症の親が心配し過ぎて
止むを得ず先回りをしていたというのも
仕方がないのかもしれません。

成長が追いついてきた頃
自我が芽生えてきた頃にも
いつまでも「子供扱い」を止めることが
あの人達は出来ませんでした。

子供が大人になると、自分達の『大人の親の立場』を失ってしまい自分の居場所が無くなること恐怖からあの人達は
抜け出せなかったのかもしれません。

世の中には本当にタイミングというものが
存在するんだなと今は痛感しています。


いくらなんでも
「そんなもの大人になれば消えていくだろ」

努力不足の甘えと言われても
仕方ないことかもしれませんが

消えないんです、だから途方に暮れてます。
消えないんです、だから生き辛いままです。


それだけ強烈に意識と記憶に刻まれている
それはやはり敏感過ぎることも
関係してしまっているのでしょうか。


厄介過ぎて手強くて、なかなか消えない


昔の鎖を引きちぎれ









いつまで縛られてんねん
(´・ω・`)