『人魚姫』とは 派生版との比較
**人魚姫のあらすじ**
人魚の国に住む美しい人魚姫は、15歳になると海の上に上がって人間の世界を見ることが許されます。初めて見た人間の世界に魅了された人魚姫は、嵐で遭難した人間の王子に一目惚れしてしまいます。王子を助けたものの、自分が人魚であることを隠して姿を消しました。
王子への想いを断ち切れない人魚姫は、魔女に頼んで声と引き換えに人間の足を手に入れます。ただし、王子と結婚できなければ泡となって消えてしまうという条件を付けられます。人間の姿になった人魚姫は王子と出会い、一緒に過ごすようになりますが、言葉を話せないため、王子に気持ちを伝えることができません。
やがて王子は、隣国の姫と結婚することになります。結婚式の夜、人魚姫は魔女から王子を殺せば人魚に戻れると告げられますが、愛する王子を殺すことができず、夜明けとともに海に身を投げ、泡となって消えてしまうのでした。
AIチャット君ありがとうございます。
このあらすじからわかるように人魚姫は人間に恋した人魚姫の悲哀の物語です。
解説してもらったのはアンデルセンが書いた原作ではなく、所謂ディズニー版と呼ばれる派生版ですね。この解説では人魚姫は最終的に泡となって消えますが、原作では人魚姫は消滅する直前、その無償の献身を「真実の愛」として神に認められ、空気の精に生まれ変わる。姫は広い世界を自由に飛び回れるようになり、王子と妃を祝福した後、彼女を受け入れてくれた仲間達と共により多くの人々を幸せにするための旅に出る。というのがラストシーンになっています。
派生版でもいくつかタイプがあります。王子と人魚姫が結ばれる『異類婚姻譚タイプ』、人魚姫が泡になって消える『悲哀タイプ』が多いですね。
なぜ原作の『空気の精』が登場しないストーリーが多いのでしょうか。僕はそれが原作のストーリーが救いのない(あまりに自己犠牲的な)「バッドエンド」だと捉えられているからだと思っています。
恋した相手は種族の違う人間で、自分も人間と同じ形になるために(ここが重要です)声を捨てたのにも関わらず恋は成就せず、恋した王子は自分以外の女性と結ばれる。そして人魚姫は王子を殺すことができず死んでしまう
重いですね。この重苦しいストーリーのウケが悪いからハッピーエンドな派生版が流行するのだと考えています。しかし、僕は原作の終わり方は作者であるアンデルセンのセクシャリティとキリスト教の恋愛観を絡めて考えると納得のいく「トゥルーエンド」だと思っています。
キリスト者であったアンデルセンと同性愛
キリスト教において、「魂」は人間を構成する重要な要素であり、神によって創造された不滅の存在と考えられています。肉体が滅びた後も存続し、神との関係を持ち続けることができると信じられています。
AIによる概略です。
キリスト教において『魂』とは永遠に存在し続ける『不滅』の存在だと定義されています。そしてこれは人間にのみ与えられているものだとされていない。
つまり、アンデルセンは物語の中で、自身を魂を持たない存在(非人間)としているのです。
では、魂がないとどうなってしまうのか。それは神からの愛(アガペー)が受けられないということです。
アガペーとは神が人間に対して一方的に注ぐ、見返りを求めない愛のことを指します。そしてこれは自己犠牲の意味を伴います。(キリスト教における自己犠牲は、イエス・キリストが人類の罪を贖うために十字架にかかった究極の愛の行為です)
ここで、愛が出てきましたね。本筋から少しそれてしまいますが、キリスト教における4つの愛を紹介しましょう
1.アガペー (Agape):
特徴:神の人間に対する無条件の愛、見返りを求めない愛、無償の愛。
具体例:キリストの十字架の愛、隣人愛。
2.フィリア (Philia):
特徴:友情、親密な連帯感、兄弟愛。
具体例:友人同士の絆、同志の愛。
3.ストルゲー (Storge):
特徴:親愛の情、親子愛、家族愛、師弟愛。
具体例:親が子を愛する、自然な情愛。
4.エロース (Eros):
特徴:男女間のロマンチックな愛、本能的な愛、情熱。
具体例:夫婦の愛(ただし、キリスト教ではアガペーと結びつけることが重要)。
AIによる概略
また、「神を愛し、人を愛し、土を愛す」という考え方(「三つの愛」)もあります。
キリスト教(派閥によってスタンスは異なりますが)は現在においても同性愛、同性婚については保守的な考えを貫いています。
「男も女も、異性との人格的関係においてのみ、完全な人間性に到達することができる。生殖のための性は、神の定めたもうた規範である。同性の内に人間性を求めるのは、自己愛であり偶像崇拝である。同性愛的行動は被造物性を拒否することになるのだ」
『福音と世界』1993年6月号ウィリアム・メンセンディクの記事より引用
レビ記や創世記にも上記と同様にヘテロセクシュアル、もとい反LGET的な内容が書かれています。
性とはあくまで生殖のものであり、生殖が不可能な同性愛は不自然だ、というのが彼らの主張です。この主張が正しいか間違っているかは本題からそれるのでこのまま受け止めます。重要なのは、神から祝福されぬ同性への恋心を持った自分自身を、アンデルセンは魂を持たぬ『異形』の存在である人魚姫へと投影したという事実です。
人魚姫と性別越境
AIによる概略
性別越境とはトランスジェンダーのことであると言われていた時代もありましたが、近年では理解と研究が進み、女装、男装などファッションとしての性別、性役割の転換が文化と見なされるようになりました。
これにより元来の性別越境という言葉はより広く定義されるようになったという歴史があります。性別は生まれた時から設定されている絶対的な『概念』から自分の生き方によって変えることができる『属性』へと価値観の変遷が起こったのです。
さて、僕は人魚姫の物語には性別越境の描写が二つ存在していると思っています。一つずつ解説していきます。
1,アンデルセン(男)から人魚姫(女)への性別越境
2.中性としての人魚姫から人間の女としての人魚姫への性別越境
川野芽生『Blue』
【第170回 芥川賞候補作】
「ほんものの人間と見なされなくても、神様に認められなくても、人魚姫はやっぱり海の上を目指しただろうか」
高校の演劇部で『人魚姫』を翻案したオリジナル脚本『姫と人魚姫』を上演することになり、人魚姫役の真砂(まさご)は、個性豊かなメンバーと議論を交わし劇をつくりあげていく。数年後、大学生になった当時の部員たちに再演の話が舞い込むが、「女の子として生きようとすることをやめてしまった」真砂は、もう、人魚姫にはなれなくて――。
自分で選んだはずの生き方、しかし選択肢なんてなかった生き方。
社会的規範によって揺さぶられる若きたましいを痛切に映しだす、いま最も読みたいトランスジェンダーの物語。
『Blue』あらすじ
実は人魚姫と同性愛、キリスト教についてまとめようと思ったのはこの小説を読んだからです。
正直読みづらく、難しい作品ですが、僕はとても面白いと思いました。このブログがいいなと思った人は読んでみることをおすすめしますよ。