ある日のこと、父が入退院を繰り返していた今思えば最後の方の頃のこと。
わたしは明らかに現実を直視することができず逃げ腰でした。時間をみつけてはダイビングにでかけてしまったり。
そのころの父の体の状態はといえば
癌が胆管から肝管、肝門脈さらにファーター乳頭付近から十二指腸へとひろがり、十二指腸閉塞を起こした為、食べ物が腸へと流れ出ることができなくなったことで激しく嘔吐しました。
できる処置としては十二指腸閉塞部分より上に、小腸の一部をつなぐ手術でした。
しかしそこからの感染がおこり、肝臓内へ膿瘍がたまって肝膿瘍という状態に。それを洗浄する作業を在宅で行なっていました。
50ccのシリンジをTチューブにつないで一旦生理食塩水を注入してその生食ごと膿瘍を抜き取り洗浄するのです。
このころだったかな、家でも幻覚が見えたりして家のトイレか病院のトイレかもわからなくなるようなことがあったのは。
これは肝臓の機能が役目を果たせなくなった証拠でもあります。かなりの黄疸でしたし、皮膚のかゆみも相当だったようです。解毒作用ができないためにみえる幻覚は家族の気持ちも堪らなくさせますね。
なぜこのことがピンポイントで記憶として引っ張り出されたかというと、最近、在宅介護中の主人の家族の具合が悪く入院したからです。
わたしの場合、父も私も60歳と23歳の頃と若いので違う辛さがありました。その上先行きの良くなることのない処置を自らする作業の辛さと言ったら
20年近くが経ち家族の介護に出会ってみると、介護は先の見えない辛さに出会うんだなとおもいました。
辛さの違いや期間やめどがあることの救いに気付かされたのです。
死ぬのに救いっておかしいですけどね。
癌です。死ぬんです。期間はこのくらいです。
の宣告ってある意味かぞくにとっても救いに感じる時期がやってくるのだな。
その当時は思えなかったのに、今になってなんてこと思うんだろうか。