大変ご無沙汰しております。

 

ありがたいことに、日々、元気に暮らしております。

 

人生5度目のお引越しで、現在、日本海沿いで生活しております。

まだ春の真っ只中だったある日。

姫路市の亀山本徳寺に行って参りました。



境内に足を踏み入れた途端、オオスズメバチに見張られてしまいました。

この時期に一匹で巡回しているのは、なんと女王蜂らしいです。

羽音も並ではない巨大な蜂さんに会うという、なかなかにない機会にありつけました。

ということで、刺激しないように静かに散策しました(白いコートを着て来て正解でした)。


こちらの本堂は、新選組の屯所として使用されていた時期があります。

京都西本願寺時代の屯所である北集会所と太鼓楼のうち、北集会所はこちらに本堂として移築されたのことです。

この春、西本願寺に伺ったのを機に、お邪魔することにしました。


お日柄も良く、女王蜂にも歓迎(警戒?)され、静かで歴史のある空間を一人占めすることができました。

きっと、剣の稽古の休憩中、こちらの階段に腰かけることもあったのでしょうね。


境内の桜は盛りを迎えていました。


自分が歩くたびに軋む床の音を耳にするごとに、まるで過去へと誘われるかのようでした。


障子戸の柱には、このように、この建物が新選組の屯所であったことが掲示されています。

戸を開けてお部屋の中に入ると、静謐かつ厳粛な祈りの空間が広がっていました。

自分と現世と向き合うための空間といいましょうか。今世を一時忘れ、永遠の穏やかさに接することができた気がします。


こちらの柱には隊士によってつけられた荒々しいそして生々しい(うえにたくさんの)刀傷が。

これには(これも含めて)頭を抱えたことでしょうね。でも、確かにここで生活をされていたのだとそっと柱をなぞりました。

近くには、面白いタイトルの記事が。


三谷幸喜さん脚本の『新撰組』のロケ地にもなった亀山本徳寺。若かりし頃の山本耕史さん(土方歳三役)と藤原竜也さん(沖田総司役)を見ることができました。


最後は立派な大門をくぐり、帰路につきました。

姫路城に向かわれる方は、こちらに立ち寄るのも一興かもしれません。

山陽姫路駅から2駅(4分)。亀山駅のすぐ近くにあります。

最近、懐かしさに浸ることが多い。

 

好きな歌、作品のなかから、あの時の私を思い出そうとしている。

 

あの時抱いていた想いと今の私が交わることは、この先、きっとないのかもしれない。

 

だからこそ、変わる前の、あの頃の私が愛しく思えて、仕方ないのかもしれない。

 

十年一区切りのこの春がそうさせるのだろうか。

 

未来が定まらない、不安定なあの頃は、手離すことが怖くて、何もかもをひたすら繋ぎ止めようとしていた。

 

けれど、今はどうだろう。

 

残そうとしても、時代は、人は。とどまることを知らず。風のように。脆く。

 

流れに抗っても。身を任せても。結局、必要なものしか残らない。あるいは、残せたものに意味と愛しさを吹き込むことでしか、自分を保てない。

 

弱くなってしまったのだろうか。強くなれているのだろうか。

 

振り切れるほどの、割り切れるほどの強かさが身に付いたのは確かだけれど。一方で、正面から向き合うことの怖さやストイックになれない生温さを甘受してしまってもいる。事ある毎に切なさと尊さが先行するほどに、しなやかに、素直になってもいる。

 

かつての日々は恋しいけれど、揺れていたあの日々に戻りたいとは思わないものなんだなぁ。でも、繊細に、必死に生きていた、小さき、眩しき開拓者にもし会えるのなら、ひとつだけ伝えたいことがある。

 

悩みながら怖れずに進め、と。

 

春風は、不器用に生きていた自分自身を記憶の中から誘い出す。それは、まるで幻影のよう。暗中模索の日々にも雪解けは訪れる。それは、必ず私の一部となる。

 

包み込んでほしくて。包み込んであげたくて。暖かな春風を浴びたから、そんな気持ちが芽生えたのかもしれない。

 

また、そうさせるのは、穏やかさに初めて包まれた私自身でもあり、私が愛し私を支え続けた作品たちでもあるのだろう。